龍田風神祭
龍田風神祭とは
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龍田風神祭とは、「たつたかぜのかみのまつり」と読み、奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社の例祭である。「延喜式四時祭式」上(『延喜式』巻第一)の四月祭条に、大忌祭に続けて「風神祭二座 龍田社、七月准此、」と記されているように、秋の穀物の豊穣のために風雨の順調を祈って4月と7月の年二回行われた祭祀である。古代において、龍田の地は大和盆地に吹き込む西風の吹きだし口と考えられたことから、龍田神社でこの祭が行われるようになったものと考えられている。「養老神祗令」が、この祭を孟夏(四月)・孟秋(七月)に廣瀬大忌祭と並べ記しているように、古来は同日(それぞれの4日)に行われていた。「延喜四時祭式」によれば、本祭は小祀とされ、祭日である4月と7月の四日には祭使として五位以上の王(皇族)と臣が派遣された。
「延喜神名式」(『延喜式』巻第九、「延喜式神名帳」)には、大和国平群郡条に「龍田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大、月次新嘗、」と記載され、古くは龍田神社と呼ばれ、名神大社に列した。「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祗を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたのが起源とされている。国史では、天武天皇4(675)年4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見である。嘉祥3(850)年に従五位上を叙せられたのを初めとし、貞観元(859)年には従三位となる。永保元(1081)年には二十二社の一つに数えられた。近代社格制度のもと、明治4(1871)年に龍田神社として官幣大社に列した。摂社に、龍田比古龍田比売神社がある。
龍田風神祭の祝詞
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龍田神社に参向した勅使が、祭祀を営む趣を龍田神社の神主・祝部等に読み聞かせる宣命体形式の祝詞であり、直接祭神に奏上する祝詞ではない。
龍田風神祭
龍田尓稱辭竟奉皇神乃前尓白久、志貴嶋尓大八嶋國知志皇御孫命乃、遠御膳乃長御膳止、赤丹乃穂尓聞食須五穀物乎始氐、天下乃公民乃作物乎、草乃片葉尓至萬氐不成、一年二年尓不在、歳眞尼久傷故尓、
百能物知人等乃卜事尓出牟神乃御心者、此神止白止負賜伎、此乎物知人等乃卜事乎以氐卜止母、出留神乃御心母無止白止聞看氐、
皇御孫命詔久、神等乎並、天社・國社止忘事無久遺事無久、稱辭竟奉止思志行波須乎、誰神曽、天下乃公民乃作作物乎、不成傷神等波、我御心曽止悟奉礼止宇氣比賜伎、
是以皇御孫命大御夢尓悟奉久、天下乃公民乃作作物乎、悪風・荒水尓相都都、不成傷波、我御名者天乃御柱乃命・國乃御柱乃命止、御名者悟奉氐、吾前尓奉牟幣帛者、御服者明妙・照妙・和妙・荒妙、五色乃物、楯・戈、御馬尓御鞍具氐、品品乃幣帛備氐、吾宮者朝日乃日向處、夕日乃日隠處乃龍田能立野乃小野尓、吾宮波定奉氐、吾前乎稱辭竟奉者、
天下乃公民乃作作物者、五穀乎始氐、草乃片葉尓至萬氐、成幸閉奉牟止悟奉伎、是以皇神乃辭教悟奉處仁、宮柱定奉氐、此乃皇神能前尓稱辭竟奉尓、皇御孫命乃宇豆乃幣帛令捧持氐、王・臣等乎爲使氐、稱辭竟奉久止、皇神乃前尓白賜事乎、神主・祝部等諸聞食止宣、
奉宇豆乃幣帛者、比古神尓御服明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈、御馬尓御鞍具氐、品品乃幣帛獻、比賣神尓、御服備、金能麻笥・金能栭・金能挊、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色能物、御馬尓御鞍具氐、雜幣帛奉氐、御酒者瓺能閉高知、瓺腹滿雙氐、和稲・荒稲尓、山尓住物者、毛乃和物、毛乃荒物、大野原生物者、甘菜・辛菜、青海原尓住物者、鰭能廣物・鰭能狭物、奧都藻菜・邊都藻菜尓至萬氐尓、如横山打積置氐、奉此宇豆乃幣帛乎、安幣帛能足幣帛止、皇神能御心尓平久聞食氐、
天下能公民能作作物乎、悪風・荒水尓不相賜、皇神乃成幸閉賜者、初穂者瓺能閉高知、瓺腹滿雙氐、汁尓母穎尓母、八百稲・千稲尓引居置氐、秋祭尓奉牟止、王・卿等・百官能人等、倭國六縣能刀禰・男女尓至萬氐尓、今年四月――七月者云今年七月、――諸參輯氐、皇神能前尓宇事物頚根築拔氐、今日能朝日能豐榮登尓、稱辭竟奉流皇御孫命乃宇豆乃幣帛乎、神主・祝部等被賜氐、惰事無奉礼登宣命乎、諸聞食止宣、
龍田風神祭
龍田に稱辭竟へ奉る皇神の前に白さく、志貴嶋に大八嶋國知しし皇御孫命の、遠御膳の長御膳と、赤丹の穂に聞し食す五穀物を始めて、
天下の公民の作る物を、草の片葉に至るまで成さず、一年二年に在らず、歳眞尼く傷ふが故に、百の物知人等の卜事に出でむ神の御心は、
此の神と白せと負せ賜ひき、此を物知人等の卜事を以て卜へども、出づる神の御心も無しと白すと聞し看して、
皇御孫命の詔りたまはく、神等をば、天社・國社と忘るる事無く、遺つる事無く、稱辭竟へ奉ると思ほし行はすを、誰の神ぞ、天下の公民の作りと作る物を、
成さず傷ふ神等は、吾が御心ぞと悟し奉れと宇氣比賜ひき、是を以て皇御孫命の大御夢に悟し奉らく、天下の公民の作りと作る物を、
悪しき風・荒き水に相はせつつ、成さず傷ふは、我が御名は天乃御柱乃命・國乃御柱乃命と、御名は悟し奉りて、吾が前に奉らむ幣帛は、
御服は明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈、御馬に御鞍具へて、品品の幣帛備へて、吾が宮は朝日の日向ふ處、
夕日の日隠る處の龍田の立野の小野に、吾が宮は定め奉りて、吾が前を稱辭竟へ奉らば、天下の公民の作りと作る物は、五穀を始めて、
草の片葉に至るまで、成し幸はへ奉らむと悟し奉りき、是を以て皇神の辭教へ悟し奉りし處に、宮柱定め奉りて、
此の皇神の前に稱辭竟へ奉るに、皇御孫命の宇豆の幣帛を捧げ持たしめて、王・臣等を使と爲て、稱辭竟へ奉らくと、皇神の前に白し賜ふ事を、
神主・祝部等諸聞き食へと宣ふ、
奉る宇豆の幣帛は、比古神に、御服は明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈、御馬に御鞍具へて、品品の幣帛獻り、
比賣神に、御服備へ、金の麻笥・金の栭・金の挊、明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、御馬に御鞍具へて、
雜の幣帛奉りて、御酒は瓺の閉高知り、瓺の腹滿て雙べて、和稲・荒稲に、山に住む物は、
毛の和物・毛の荒物、大野原に生ふる物は、甘菜・辛菜、青海原に住む物は、鰭の廣物・鰭の狭物、奧都藻菜・邊都藻菜に至るまでに、
横山の如く打積み置きて、奉る此の宇豆の幣帛を、安幣帛の足幣帛と、皇神の御心に平けく聞食して、天下の公民の作りと作る物を、
悪しき風・荒き水に相はせ賜はず、皇神の成し幸へ賜はば、初穂は、瓺の閉高知り、瓺の腹滿て雙べて、
汁にも穎にも、八百稲・千稲に引居ゑ置きて、秋祭に、奉らむと、王・卿等、百官の人等、倭國の六縣の刀禰・男女に至るまでに、
今年の四月――七月には今年の七月と云へ、――諸參輯はりて、皇神の前に宇事物頚根築き拔きて、
今日の朝日の豐榮登に、稱辭竟へ奉る、皇御孫命の宇豆の幣帛を、神主・祝部等被け賜りて、惰る事無く奉れと宣りたまふ命を、諸聞き食へと宣ふ、
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