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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s06_anrakuzi.html#basic
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昔この地方は鉄錆色の温泉が湧き諸病に特効があったとされ、弘法大師が留まり厄難や病苦を救うために薬師如来坐像を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけたとされる。創建当初は、現在の寺領地より北西2kmほど離れた山間、安楽寺谷にあったが、長宗我部の兵火で焼失したため現在地へ再建された。その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を万治年間に併合。駅路寺は徳島を中心に5つの街道に設けられ、旅の便をはかるとともに、軍事や治安上の取締りに役立てられた。戦後、お遍路の火の不始末から再び焼失、現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和38年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、本堂に奉安されている。元来の本尊は胎内仏として納められている。
本堂と大師堂の間にある願い棒修行は、京都の東寺でも行われている。大師像前にある願い棒を年齢数(29歳であれば2本と9本の計11本)だけ手に握り、願い事・氏名・年齢を言い般若心経を唱えながら修行大師の周りを右回りし、正面に来たら願い棒を1本を供え、残りは戻して高祖御宝号「南無大師遍照金剛」を七回唱えると願い事が叶うとされている。
江戸時代は、宿に困った遍路や旅人を泊めて保護するよう藩主から指定された「駅路寺」であった。四国でも一、二といわれる500名収容の宿坊がある。現在、天然温泉は涸れたが、大師が開山した時の意をくみ、浴槽にラジウム鉱泉や薬草を入れた長寿湯をふるまっている。宿泊者のみ入浴可能。
昔、猟師が猪と間違えて松の木の下で修行中の大師を矢で射ってしまうが、松が身代わりとなり矢を受けた。大師は折れた松を逆さに植え、「この松が栄えたなら、この地を踏むものは災厄を逃れるだろう」と言ったとされる。それ以来、大師身代わりの「さかさ松」と呼ばれ、今日に伝えられている。
平成10年に完成したトイレは、日本トイレ協会のモデルトイレにも指定されている。中は広くスロープがついており、車椅子も入ることができる。
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