広告
広告
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s05_zizouzi.html#basic
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s05_zizouzi.html#other
弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師はこの寺を開くとともに、一寸八分(5.6cm)の勝軍地蔵菩薩を刻んで本尊とした。その後、紀州熊野権現の神霊を遷す勤めを仰せつかった浄函上人が、権現のお告げと霊木を授かって下向し、二尺七寸(約80cm)の延命地蔵尊を刻み、その胎内へ大師の刻んだ勝軍地蔵菩薩を納めたといわれる。天正10年(1582年)に長宗我部の兵火により焼失、江戸時代に再建された。実名、実聞の兄弟二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で安永4年(1775年)に羅漢像をおさめて堂宇を建立した。また、大正4年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。かつては300の末寺を有し二十六坊を備えた中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。嵯峨、淳仁、仁明天皇の帰依をはじめ、源義経、蜂須賀家など武将達の信仰も厚く、寄進により領域は広大であったとされる。
境内へ入るとイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。また、境内の裏山には五百羅漢がある。
本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師が祀られ、廻廊には等身大の五百羅漢が安置されている。大正4年(1915年)の失火で大部分を焼失し、現在のものは大正から昭和にかけて刻まれた約200体の木像羅漢が数々の仏像と共に納められている。羅漢とは、まだ仏には達していないが、修行中の人間としては一番功徳を積んだ学者、即ち人間の中では最高の位にあるものを指す。しかし仏ではないため、仏像の喜怒哀楽の表情は人間的。木造の羅漢像は、全国的にも珍しいといわれている。
弘法大師お手植えとされる、樹齢八百年を超える老大木。
境内の大イチョウ(たらちね銀杏)前にある、淡島大明神が祀られた淡島堂では、何百年も昔からヘチマ加持と呼ばれる祈祷が行われている。病名を小さな紙に書き、乾いたヘチマの中に封じ込め7日間の御祈祷をすれば病気が治るといわれている。特にこれは婦人病に効くとされ、ただ拝むだけではなく髪の毛を切って淡島堂にお供えし願掛けをしたといわれる。
水滴と瀬戸物の筒を利用した水琴窟。日本庭園の技法の一つで、洞窟内に水滴を落としたとき発生する反響音を庭園内で楽しむもの。地蔵寺境内には2か所あり、耳を近づけると琴のような澄んだ音色が聞こえる。
-
-
広告