坂口安吾
坂口安吾の概要
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坂口安吾【さかぐち あんご】(1906年10月20日 - 1955年2月17日) は、日本の小説家、エッセイスト。本名は炳五(へいご)。
坂口安吾の略歴
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- 1906年:新潟県新潟市西大畑町に、父・坂口仁一郎、母・アサの五男として生誕。
- 1913年:新潟尋常高等小学校に入学。
- 1918年:新潟尋常高等小学校を卒業。
- 1919年:県立新潟中学校(現・県立新潟高校)に入学。
- 1922年:県立新潟中学校を放校処分。東京の私立豊山中学校(現・日本大学豊山高等学校)に編入し、父、兄・献吉と東京府戸塚諏訪町に住む。
- 1923年:父・仁一郎死去。
- 1925年:世田谷下北沢の荏原尋常高等小学校の代用教員に採用され、その分教場(現・代沢小学校)の代用教員となる。この頃『改造』誌の懸賞小説に応募して落選。
- 1926年:代用教員を辞し、東洋大学文学部印度哲学倫理科(現:インド哲学科)に入学。在学中は睡眠4時間の生活を1年半続けて神経衰弱におちいり、それを克服するためにサンスクリット語、パーリ語など語学学習に熱中したといわれる。
- 1928年:アテネフランセに入学。
- 1930年:東洋大学を卒業。アテネフランセの中等科から高等科に進み、フランス語に打ち込むとともに本格的に20世紀フランス文学を学び始める。
- 1930年11月:同人誌『言葉』を創刊。創刊号の「メランジュ」欄にマリイ・シエイケビツチ「プルウストに就てのクロツキ」の翻訳を掲載。
- 1931年1月:『言葉』2号に処女作「木枯の酒倉から」を発表。『言葉』はこの2号で廃刊となる。
- 1931年5月:『青い馬』を創刊。創刊号に「ふるさとに寄する讃歌」を発表。
- 1932年:『青い馬』第5号に「FARCEに就いて」を掲載。『青い馬』はこの号で廃刊となる。
- 1933年:田村泰治郎の誘いで、井上友一郎、矢田らと同人誌『桜』に参加。「麓」を連載するが、6月に矢田とともに脱退。
- 1935年:処女小説集『黒谷村』を竹村書房から出版。
- 1936年:1月から「狼園」を『文學界』に連載するが、3月に牧野の自殺に衝撃を受けて連載を中絶。
- 1937年:京都に下宿し、長編『吹雪物語』を書きながら、碁会所を開くなど囲碁三昧の生活を送る。
- 1942年:母死去。
- 1943年:エッセイ集『日本文化私観』を刊行。
- 1944年:徴用逃れを目的に日本映画社の嘱託となる。この頃歴史書を愛読、1月に「黒田如水」を『現代文学』に、2月に「鉄砲」を『文藝』に発表。
- 1946年:エッセイ「堕落論」、小説「白痴」を雑誌『新潮』に発表。
- 1947年9月:『日本小説』に、推理小説「不連続殺人事件」を発表。
- 1947年:梶三千代と結婚。
- 1948年:『風と光と二十の私と』、『不良少年とキリスト』、『不連続殺人事件』を刊行した。また『坂口安吾選集』を銀座出版社から刊行。
- 1948年:『不連続殺人事件』が探偵作家クラブ賞を受ける。
- 1949年:薬中毒により東京大学病院に入院。
- 1951年:『新日本地理』のため全国を旅行。それらいくつかの文章を『文芸春秋』に掲載。
- 1955年:脳出血のため桐生市の自宅にて永眠。享年49。
坂口安吾の残した名言
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- 恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸だ。
- 夫婦は愛し合うと共に憎しみ合うのが当然である。かかる憎しみを恐れてはならぬ。正しく憎み合うがよく、鋭く対立するがよい(『悪妻論』より)。
- 悲しみ・苦しみは、人生の花だ。
- 青春ほど死の翳を負い、死と背中合せな時期はない。
- 人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。
- 人間は生き、人間は堕ちる。このこと以外に人間を救う便利な近道はない。
- 人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。
- 人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。満足はだれでも好むよ。けだものでもね。
- 私は悪人です、というのは私は善人ですと言うことよりずるい。
- ほんとに惚れて、死ぬなんて、ナンセンスさ。惚れたら、生きることです(『不良少年とキリスト』より)。
坂口安吾の逸話
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- 1946年に発表した『堕落論』は、終戦後の暗澹たる世相の中で戦時中の倫理を否定し、「堕ちきること」を肯定して多大な反響を呼んだ。
- ヒロポンなどの薬物を打ちながらの執筆により薬物中毒となり、遂に錯乱状態となって入院、退院後に再発して伊東での転地療養で回復に至った。
- 安吾の推理小説は「推理を楽しむ小説」「パズルを解くゲーム」という考え方によるもので、推理作家としてはアガサ・クリスティを最高の作家として挙げている。ただし、推理が不可思議な飛躍をするともいわれていた。
- 将棋や囲碁を好み、特に囲碁は強く、京都滞在時には碁会所席主として生活していたほど。
- 幼少時は破天荒な性格で知られ、ガキ大将として近所の子供を引き連れて町内や砂丘で遊び回ったとされる。
- 8歳の頃は野球や陸上競技に熱中、ハイジャンプではインターミドル(全国中等学校陸上競技会)で1m57cmの記録で優勝。
- 一人息子の坂口綱男は写真家。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月12日 最終更新:2007年10月12日