芥川龍之介
芥川龍之介の概要
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芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ:1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家・作家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼を用いた。主に短編小説を書き、多くの傑作を残した。
芥川龍之介の略歴
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- 東京市京橋区入船町に牛乳屋を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。
- 生後7か月後ごろに母が発狂したため、東京市本所区小泉町にある母の実家、芥川家に預けられ伯母に養育される。
- 11歳の時に母が亡くなり、翌年叔父の芥川道章の養子となり芥川姓を名乗ることになった。
- 江東尋常小学校、府立第三中学校、第一高等学校、東京帝国大学英文科と進学。
- 1914年2月:東京帝国大学文学部英文学科在学中、菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第三次)を刊行。「柳川隆之助」の筆名でアナトール・フランスの「バルタザアル」、イエーツの「春の心臓」の和訳を寄稿、10月に『新思潮』が廃刊に至るまでに同誌上に処女小説「老年」を発表。作家活動の始まりとなる。
- 1915年10月:代表作の1つとなる『羅生門』を「芥川龍之介」名義で『帝国文学』に発表、級友鈴木三重吉の紹介で夏目漱石門下に入る。
- 1916年:第4次『新思潮』(メンバーは第3次とほぼ同じ)を発刊、創刊号に掲載した『鼻』が漱石に絶賛される。
- 1916年:東大英文科を20人中2番の成績で卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。
- 1916年12月:海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執る。
- 1917年5月:初の短編集『羅生門』を刊行。その後も短編作品を次々に発表し、11月には第2短編集『煙草と悪魔』を発刊。
- 1918年3月:教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念。
- 1919年3月12日:友人の山本喜誉司の姉の娘である塚本文と結婚。
- 1921年2月:大阪毎日海外視察員として中国を訪れ、7月に帰国。『上海遊記』以下の紀行文をあらわした。
- 1927年1月:義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺。
- 1927年4月:「文芸的な、余りに文芸的な」で谷崎潤一郎と文学史上有名な論争を繰り広げる。
- 1927年7月24日未明:「続西方の人」を書き上げたのち致死量の睡眠薬を飲んで自殺。
芥川龍之介の残した名言
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- あらゆる神の属性中、最も神のために同情するのは神には自殺の出来ないことである。
- わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。
- われわれを恋愛から救うのは理性よりもむしろ多忙である。
- 阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
- 古来いかに大勢の親はこういう言葉を繰り返したであろう。「私は結局失敗した。しかし、この子だけは成功させなければならぬ」
- 好人物は何よりも先に、天上の神に似たものである。第1に、歓喜を語るに良い。第2に、不平を訴えるのに良い。第3に、いてもいなくても良い。
- 最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。
- 私は不幸にも知っている。時には嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。
- 自由は山嶺の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。
- 人間は時として、満たされるか満たされないか、わからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う人は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。
- 人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。
- 人生の悲劇の第一幕は、親子となったことに始まっている。
- 人生は一行のボオドレエルにも若かない(『或阿呆の一生』より)。
- 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である。
- 人生は地獄よりも地獄的である。
- 人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称しがたい。しかし、とにかく一部を成している。
- 人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さなければならぬ。
- 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈さえつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
- 創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。
- 他人を弁護するよりも自己を弁護するのは困難である。疑うものは弁護士を見よ。
- 天才の一面は明らかに醜聞を起こし得る才能である(『侏儒の言葉』より)。
- 道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
- 文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。
- 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違いあるまい。
- 恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである。
芥川龍之介の逸話
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- 自殺の動機について芥川は、「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」と記している。命日は小説「河童」から取って河童忌と称される。
- かつて自分の名を「竜之介」と表記していたこともあった。少年時代のある時期には「龍之助」と表記していて、一高・東大の卒業名簿も「助」となっている。中学2年頃から戸籍どおり「介」と自称するようになるが、それからは「助」と誤記されるのを非常に嫌がったとされる。
- 笑顔の写真がほとんど存在しない事で有名であるが、晩年のフィルム映像では、息子たちと共に笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。
- 子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(長男:比呂志)、小穴隆一の「隆」(次男:多加志)、恒藤恭の「恭」(三男:也寸志)をもらって漢字を替えて名づけたもの。友情に厚かった芥川の人柄が偲ばれる。
- 子煩悩であったという。
- 龍之介の名前は、辰年・辰月・辰日・辰の刻に生まれたことに由来すると言われているが、詳細は不明。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月17日 最終更新:2007年10月17日