お盆

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お盆とは

最終更新
2007-12-30T12:12:26+09:00
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お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事。一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多く、日本在来の民俗行事に仏教行事の盂蘭盆が習合して現在の形が出来たと考えられている。盂蘭盆の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。現在では旧暦の7月に行う地域と新暦の8月に行う地域がある。

お盆は「精霊会(しょうりょうえ)」や「盂蘭盆会(うらぼんえ)」とも呼ばれる。精霊とは祖先の霊を指し、盂蘭盆とは「逆さに吊るされた苦しみを救う」との意味のサンスクリット【ullambana】(ウラムバナ)が語源である。盂蘭盆会は、釈迦の弟子である目連が、「死んだ自分の母親が、地獄に落ちて逆さ吊りの罰を受けて苦しんでいますが、どうしたら救われるでしょう」と釈迦に教えを請うたところ、「7月15日に供養をしなさい」と釈迦に言われたとの話に由来する。そこで目連はこの日に手厚く母親の供養をしたところ、母親は救われて極楽浄土に行くことができたとされ、そこから盂蘭盆会の行事が生れたと言われている。これが日本に伝わり、独自の祖先信仰と融合して、日本ならではのお盆の習慣が作られていった。

日本での「お盆」の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があったが、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。

お盆が始る十三日の夕方になると、精霊迎えといって祖先の霊が迷わずに帰ってこられるように家や寺の門前で迎え火を燃やす。墓が近かった時代には、墓まで出迎えにいくことも珍しくなかった。そして仏壇の前や野外などに盆棚(精霊棚とも)と呼ばれる臨時の棚を設け、仏壇から位牌を取り出して置く。盆棚には、果物や野菜などの季節ものやぼた餅などが供えられ、朝昼晩の3回ご飯と水も供える。さらに、盆棚にキュウリナスで作った馬の人形を飾り、祖先の霊が馬に乗ってこの世に帰って来るのを迎える。これは「精霊馬(しょうりょううま)」と呼ばれ、4本の麻幹やマッチ棒、折った割り箸などを足に見立てて差し込んで馬や牛とするものである。キュウリは足の速い馬に見立てられてあの世から早く家に戻ってくるように、またナスは歩みの遅い牛に見立てられこの世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、さらに供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められている。

この期間には、僧侶を招いて読経してもらうなど盛大に供養をする。この読経は「棚経(たなぎょう)」と呼ばれ、盆棚の前で読む経の意味である。特に、この年に新仏の出た家は「新盆(にいぼん)」、「新盆(あらぼん)」、「初盆(はつぼん)」などと呼び、門口やお墓に白一色の提灯を飾り、故人と親しかった人たちを招いて手厚く供養するのが習わしとされている。

十六日には、家や寺の門前で送り火を燃やし、祖先の霊の彼岸への帰り道を明るく照らして送り出す。このとき、盆棚に供えた野菜や果物などを川や海に流す「精霊流し」を行う。精霊流しの一種である「燈篭流し(とうろうながし)」を行う地域もあり、これは燈篭にロウソクの火を灯して川や海に流すと、精霊がその燈篭に乗って川を下って海に出て、さらにあの世に帰っていくと考えられたためである。

家によってはお盆の期間中に「留守参り」をするところもある。留守参りとは、故人がいない墓に行って掃除などをすることを指す。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年12月30日 最終更新:2007年12月30日