第55番札所 別宮山南光坊

広告

広告

別宮山南光坊 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

別宮山南光坊の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
http://www.7key.jp/data/shikoku88/s55_nankoubou.html#basic
正式名称と通称
別宮山金剛院 南光坊(べっくさん なんこうぼう)/通称:-
本尊と宗派、開基
大通智勝如来 / 真言宗醍醐派 / 行基菩薩
真言
オンマカ ビジヤニ ヤジヤニヤ ノウビイブウ ソワカ
御姿
別宮山南光坊 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第55番 別宮山 南光坊 の御詠歌に
このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹(このところ みしまにゆめの さめぬれば べつぐうとても おなじすいじゃく)
所在地と電話番号
〒794-0026:愛媛県今治市別宮町3-1(0898-22-2916)
前札所と次札所
前札所:第54番札所 延命寺(3.5km)/次札所:第56番札所 泰山寺(3.0km)
交通と駐車場
徒歩:延命寺→国道192号線→海禅寺→南光坊
延命寺から徒歩6分、せとうちバス今治営業所行:阿方→高島屋前(13分)、下車後徒歩(300m)
JR予讃線今治駅下車。徒歩8分。
駐車場:無料(10台:境内まですぐ)
宿泊
宿坊なし

別宮山南光坊のその他情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
http://www.7key.jp/data/shikoku88/s55_nankoubou.html#other

歴史と謂れ

大宝3年(703年)に越智玉興の弟玉純が文武天皇の勅願により、瀬戸内に浮かぶ大三島の大山祗(おおやまずみ)明神に勧請し、法楽所として二十四坊を建立した。ただし海を渡らないと参詣できないため、和銅5年(712年)にその別宮を越智郡日吉村に移した。同時に別当寺院として南光坊を含む八坊を移したといわれる。弘法大師は四国巡錫の際に別宮に参拝し、坊で法楽をあげて霊地とした。大山積神社は武神海神として河野氏の尊信が厚く、祈願所として栄えた。しかし、天正年間に伊予を襲った長宗我部氏の兵火により八坊は焼失。さらに、越智氏の末裔である河野氏も滅亡。その後、南光坊だけは大山積神社の別当寺として再建された。慶長5年(1600年)には、藤堂高虎の祈祷所として薬師堂が再建された。次の城主久松氏も祈祷所に定め、祭祀料を奉納したといわれる。文久年間には金毘羅堂が造られた。明治の廃仏毀釈の際、本尊の大通智勝如来や十六大王子を薬師堂に返して寺として独立。大正5年(1916年)には大師堂が建造された。だが、昭和20年8月の大空襲で大師堂と金比羅堂以外の建造物は焼失。本堂は戦後に再建された。

堂塔

南光坊の仁王門(表)南光坊の仁王門(裏)

大師堂

弘法大師を本尊とするこの堂は、山門を入った右手にある。伝えられるところによれば、数多の焼夷弾が境内に落ちてきたものの、それらのいずれもがこの堂の屋根を滑り落ちてゆき、そのときの堂内にいた避難者の全員が無事であったという。

その他

行事

-

その他の情報

広告

Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日