第29番札所 摩尼山国分寺
摩尼山国分寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s29_kokubunzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 魔尼山宝蔵院 国分寺(まにざん こくぶんじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 千手観世音菩薩 / 真言宗智山派 / 行基菩薩
- 真言
- オン バザラ タラマキリク
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第29番 摩尼山 国分寺 の御詠歌に
- 国を分け宝をつみてたつ寺の 末の世までの利益のこせり(くにをわけ たからをつみて たつてらの すへのよまでの りやくのこせり)
- 所在地と電話番号
- 〒783-0053:高知県南国市国分546(088-862-0055)
- 前札所と次札所
- 前札所:第28番札所 大日寺(9.0km)/次札所:第30番札所 善楽寺(7.0km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:大日寺→戸板橋→山田西町駅→国分寺
- 大日寺から徒歩6分、土佐電鉄バス高知はりまや橋行:大日寺→後免町(15分)、土佐電鉄バス領石行:後免町→国分寺通(13分)、下車後徒歩(0.4km)
- JR土讃線後免駅下車。領石行きバス15分(国分寺通下車)。徒歩10分。
- 駐車場:無料(50台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊80人(3800円)
摩尼山国分寺のその他情報
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歴史と謂れ
天平13年(741年)、「諸国で最も良い土地を選んで建てよ」との聖武天皇の勅願で全国68か所に国分寺が建てられたとき、当寺も行基によって開創された。天皇自らが金光明最勝王経を書写して納め、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う勅願所とした。このため金光明四天王護国之寺とも呼ばれている。のちに弘法大師が星供(招福除災)を修行し、四国霊場と定め、真言宗の寺とした。土佐日記の作者、紀貫之が国司として4年間滞在した国府の地としても知られている。歴代天皇の尊信厚く外護され、永禄元年(1558年)には長宗我部氏によって再興、長宗我部国主、山内藩主より寺領が与えられて代々伽監が維持されてきた。大正11年には、往時を偲ぶ土壇が残っていることから境内全域が史跡として国の文化財指定を受けている。また、昭和52年から行われた境内の発掘調査により弥生時代の住居跡が発見され、ここが土佐文花発生の礎となった土地であることも判明した。
堂塔
承応2年(1558年)の仁王門を入れば、柿茸き寄棟造りの金堂(本堂)がある。外観は天平様式を伝え、内部は室町末期の作風が見られるという。
仁王門
明暦元年(1655年)に、土佐藩主の山内忠義公が寄贈したといわれる。豪壮な二層造りの門で、左右に金剛力士像がある。昭和62年には解体修理が行われた。上層には創建当時のものといわれる梵鐘(内向一尺六寸五分:約47cm)が架けられていたが、現在は本堂に収められている。形状から平安時代前期のものとされ、国の重要文化財に指定されている。
その他
行事
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その他の情報
- 柿葺き寄せ棟造りの金堂、大小二体の薬師如来像、梵鐘は国の重要文化財に指定されている。
- 土佐の苔寺とも言われている。
- 大師堂の左手に、「酒断ち地蔵」が祀られている。昔は1つだけ願いを叶えてくれる「ひとこと地蔵」であった。ある夫婦が夫のお酒を止めさせて欲しいと願い叶ったことから、「酒断ち地蔵」と呼ばれるようになり、断酒を願う多くの人が祈願に訪れている。
- 朝夕つかれる鐘は、それぞれ7回鳴らされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日