ソフィスト【sophistēs】

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ソフィスト

最終更新
2007-10-14T13:08:52+09:00
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https://www.7key.jp/data/philosophy/sophistes.html#what

紀元前5世紀頃、ペルシャ戦争(紀元前492〜前449年)の勝利を機にアテネが古代ギリシャの都市国家「ポリス」の中心的位置を占めるようになった。ソロンの立法(前594年)やクレイステネスの改革(前507年)を経て政治形態が貴族制から民主制へ転換し、身を成そうとする多くの者達がアテネへと移ったとされる。家柄や財産に関係なく国民(女性・未成年・奴隷を除く)であれば誰でも政治に参加できるとの状況では、選挙や議会の場でどれだけ人々を納得させられるかとの技術の有無が出世の鍵を握ることになる。そのため、子弟に弁論の術を教えることを生業とする学者達が生まれ、彼らはソフィストと呼ばれるようになった。

ソフィストとは、「知恵(ソフィア)のある人」(【sophizō】からの造語)との意味で、ギリシャ原語に近い読みは「ソピステース」。代表的なソフィストとして、プロタゴラス(紀元前500〜前433年)、ヒッピアス(紀元前460年頃〜)、ゴルギアス(紀元前483〜前376年)、トラシュマコス(紀元前458年頃〜)、プロディコスを挙げられる。

ソフィストは、その思想内容によって称される区分ではなく、弁論術の指導を生業とした人々全てがソフィストと呼ばれている。ときにソフィスト達が相対主義者、もしくは危険思想の持ち主とみなされることもあるが、それはプラトンの対話篇『ゴルギアス』『国家』の登場人物であるカリクレスやトラシュマコスなどの「ソフィスト」のイメージに由来するものであり、ソフィスト全体がそのような思想であったわけではない。

ソフィストとの名は当時からすでに悪い意味で通用することが多かったとされる。金銭と引き換えに弁論術を教えたために富裕な人びとが主な商売相手であったことや、目に見えない論理の力で無理やりに相手を打ち負かす詭弁の方法を教えているとのイメージがそうさせたのであろう。イメージばかりではなく、事実、時とともにソフィストが教える弁論術は、内容のいかんに関りなく主張を押し通すための形式的な手段に成り下がることとなる。プラトンは、心理の追求ではなく社会的な成功のために自らの技術を用いるソフィストを、「栄養価を考えずに大衆の舌を喜ばせようとする料理家」と非難をしている。

ソフィストについての逸話

あるソフィストが、自分の弟子の1人が授業料を払わないことに業を煮やして告訴した。訴えられた弟子は裁判の場でこう答弁した。自分がこの訴訟に勝てば、当然金を支払う必要はない。また、もし負けたとしたら、それはまだ自分が彼から十分な弁論技術を教わっていないということであり、やはり授業料を払う必要はない。

ソフィストの残した名言

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年10月14日 最終更新:2007年10月14日