第31番札所 大悲山笠森寺

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大悲山笠森寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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http://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b31_kasamoridera.html#basic
正式名称と通称
大悲山 楠光院 笠森寺(だいひさん かさもりでら) 通称:笠森観音(十一面観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
十一面観世音 / 天台宗  / 伝教大師延暦3(784)年
真言
おん ろけい じんばら きりく そわか
御詠歌
ひはくるる あめはふるのの みちすがら かかるたびぢを たのむかさもり
所在地と電話番号
〒297-0125:千葉県長生郡長南町笠森302(0475-46-0536)
位置
緯度:35度23分50.366秒(35.397324)、経度:140度12分1.062秒(140.200295)
納経所
夏:8時〜16時半、冬:8時〜16時
前札所と次札所
前札所:第30番札所 高蔵寺 / 次札所:第32番札所 清水寺
交通と駐車場
最寄駅は、JR 茂原駅。
小湊鉄道バス牛久駅行、笠森観音前徒歩5分。
駐車場:大型5台、普通車60台
拝観料
大人100円、小中学生50円

大悲山笠森寺のその他情報

最終更新
2010-03-21T16:34:13+09:00
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歴史と謂れ

延暦3(784)年に伝教大師が東国巡錫をしている際、尾野上の山頂に霊光を拝した。そこで山に登ってみると、山上に宝形の岩があり、その上に十一面観音を感得した。近づくと楠の古木があったため、その木で七尺六寸の尊像を刻み、仮堂を建てて安置したといわれる。これは、「光明と楠との縁をとりて大悲山楠光院と題し給へり」と『縁起』に記されている。

天慶年間(938〜947年)、獅子ヶ瀬と呼ばれるところに箕作りの貧しい民家があり、末娘の名前を於茂利といった。そのころ、上総国の国司に玉前明神の神託があり、府中市原で田植祭を催した。国中から乙女が呼ばれることになり、於茂利も府中に向った。その日は大雨で、尾野上の観音堂は雨漏りがし、濡れていた尊像を不憫に思った於茂利は、自分の笠を尊像に掛けたといわれる。祭に集った乙女の中で最も於茂利の器量がよかったため、国司は都に奏上、朱雀天皇の寵愛を得てついに后妃となった。後に於茂利は、尾野上に壮麗な観音堂を建立し、於茂利の笠ということから笠森と呼ばれるようになったといわれている。

長元元(1028)年、後一条天皇の勅命で、飛騨の工匠一条康頼と堀川友成が棟梁となり、舞台造りの本堂を建て、法東山と称して勅願寺とした。現在の本堂は、文禄年間(1592〜95年)の墨書銘が見付かっており、その頃の再建ではないかといわれている。昭和32年から35年まで、全解体復原大修理が実施され、その昔の姿に復旧し、あわせて防火その他の防災施設も完備した。

堂塔

笠森寺の山門

笠森寺の観音堂観音堂は、国の重要文化財。笠森寺観音堂 1棟、四方懸造、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、銅板葺、階段及び踊場を含む。岩山を背に、それぞれ高さの違う61本の柱で支えられた四方懸造で、日本唯一とされる特異な建築様式のもの。二代目広重の「諸国名所百景」の錦絵にも画かれている。

笠森寺の仁王門

行事

その他の情報

笠森寺の子授楠参道には、子授楠との霊木がある。この巨木には大きな穴があり、これをくぐると子宝に恵まれると言われている。

本尊は伝教大師が彫刻したと伝わるが、像の背面には応永33(1426)年仏師慶賛法眼が造立した旨の墨書がある。像高2.3mで、四臂を備えて右の二手には錫杖と数珠を、右の二手には蓮華と水瓶を持ち、岩坐に立っている。回廊からの入り口より一本の縄が渡されており、そこにはハンカチや手ぬぐいが折り重なって結ばれている。十一面観世音に願いがあるときには、ここに結ぶと必ず成就するといわれている。

鋳鋼唐草文釣燈籠は、国の重要文化財。

笠森寺自然林は、天然記念物。延暦年間の笠森寺草創当時より禁伐林として保護されてきたと伝えられ、暖帯林の残存林。

笠森寺の手水所

笠森寺の風景

笠森寺の風景

笠森寺の風景

笠森寺の風景

笠森寺の風景

笠森寺の風景

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Copyright (C) 2008-2010 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2010年03月21日