第35番札所 医王山清瀧寺

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医王山清瀧寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

医王山清瀧寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s35_kiyotakizi.html#basic
正式名称と通称
医王山鏡池院 清滝寺(いおうざん きよたきじ)/通称:-
本尊と宗派、開基
薬師如来 / 真言宗豊山派 / 行基菩薩
真言
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
御姿
医王山清瀧寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第35番 医王山 清滝寺 の御詠歌に
澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣(すむみずを くめばこゝろの きよたきじ なみのはなちる いわのはごろも)
所在地と電話番号
〒781-1104:高知県土佐市高岡町清滝568-1(088-852-0316)
前札所と次札所
前札所:第34番札所 種間寺(9.5km)/次札所:第36番札所 青龍寺(14.8km)
交通と駐車場
徒歩:種間寺→春野村役場→仁淀川大橋→土佐市街→清滝寺
種間寺から徒歩11分、高知県交通バス新川通り行:春野役場前→新川通り(14分)、高知県交通バス高岡須崎市野々行:新川通り→高岡営業所(12分)、下車後徒歩(3.3km:石段あり)
JR高知駅下車。はりまや橋から高岡営業所行きバス50分(終点下車)。徒歩50分。
駐車場:無料(30台:境内まですぐ)
宿泊
宿坊なし

医王山清瀧寺のその他情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s35_kiyotakizi.html#other

歴史と謂れ

養老7年(723年)、行基は人々の災難、病を除くためこの地に本尊の薬師如来像を一刀三礼で刻み開基した。当時は影山密教院釈本寺(繹本寺とも)と称していた。後の弘仁年間、大師がこの地で五穀豊穣を願い、寺の北方300mの岩に築檀して17日間修法を行った。満願の日に金剛杖で地を打つと、清らかな水が滝のようにあふれ出て鏡のような池ができたといわれる。そこで大師は閼伽片権現と龍王を勧請し、寺号を医王山清滝寺鏡池院に改め、同時に四国霊場札所に定めた。藩政時代には藩主山内氏の帰依が厚く、寺領百石、七堂伽藍を備えた大寺として寺運は隆盛であったという。一時衰退するも現在は厄除け祈願の名刹として知られている。

堂塔

逆修塔

この境内の一角には「いらずの山」と称され、誰人も近づかない所がある。そこには弘法大師の十大弟子に数えられる真如の建てた逆修の塔(生前に建てる墓を指す)がある。真如は平城天皇の第3皇子高岳法親王で、藤原薬子による薬子の乱に連座して皇太子の座を負われて仏門に入った人物。貞観3年(861年)、高岳法親王は大師の御告げを受けて来錫。息災増益の密檀を造り、さらに仏理を極めるために入唐を決意したといわれる。さらに、唐へ出立するに当たって、高齢のため二度と日本には戻ることができないだろうとの覚悟から逆修塔を刻んだといわれる。翌年には九州の太宰府より船出して唐に渡り、入唐後さらにインドへの求道の旅をつづけ、途中不慮の死を遂げたといわれる。

薬師如来像

薬師如来像

平和観音

平和観音像

行事

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その他の情報

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日