第30番札所 百々山善楽寺
百々山善楽寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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https://www.7key.jp/data/shikoku88/s30_zenrakuzi.html#basic
- 正式名称と通称
- 百々山東明院 善楽寺(どどさん ぜんらくじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 阿弥陀如来 / 真言宗豊山派 / 弘法大師
- 真言
- オン アミリタ テイゼイ カラウン
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第30番 百々山 善楽寺 の御詠歌に
- 人多く立ち集まれる一の宮 昔も今も栄えぬるかな(ひとおおく たちあつまれる いちのみや むかしもいまも さかえぬるかな)
- 所在地と電話番号
- 〒781-8131:高知市一宮2501(088-846-4141)
- 前札所と次札所
- 前札所:第29番札所 国分寺(7.0km)/次札所:第31番札所 竹林寺(6.7km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:国分寺→国道33号線→一宮東門→善楽寺
- 国分寺から徒歩5分、高知県交通バス針木・鳥越・県庁行:国分寺通り→一宮神社前(15分)、下車後徒歩(400m)
- JR土讃線土佐一宮駅下車。徒歩20分。
- 駐車場:無料(25台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊80人(3800円)
百々山善楽寺のその他情報
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歴史と謂れ
恒武天皇の時代、大同年間に一の宮(土佐神社)の別当寺として弘法大師により建立された。一の宮の別当寺には神宮寺もあり、元は神宮寺が四国霊場第30番札所だったといわれている。一時は寺運が隆盛で、七堂伽藍が建てられ、寺周辺に十二坊を数える大寺であったが、応仁年間に兵火で焼失。明治初期の神仏分離令によって一の宮は土佐神社となり、善楽寺と神宮寺は廃寺となった。本尊の阿弥陀如来や大師像など全ての寺宝は国分寺に預けられた。明治9年(1876年)に、善楽寺と神宮寺より早く復興した安楽寺へ菅原道真の菩提寺として本尊を移し、四国霊場第30番札所として公認された。その後、善楽寺が昭和4年に埼玉県与野市の東明院を移し、国分寺から伝来の大師像を迎え再興させた。それ以降、両寺が30番札所として主張、つまり第30番札所が2か所となり、善楽寺は開創霊場、安楽寺は本尊安置の寺として両寺で納経が行われていた。だが、平成6年1月1日に善楽寺は第30番札所、安楽寺は第30番札所奥之院と定め決着がついた。
堂塔
子安地蔵堂
梅見地蔵
行事
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その他の情報
- 子安地蔵堂には、優しい表情をした子安地蔵堂が祀られている。子宝祈願に御利益があるといわれ多くの人に信仰されている。
- 赤い前掛けの梅見地蔵は、文化13年(1816年)に作られたとされる。このお地蔵様は首から上の病気にご利益があると言い伝えられており、脳の病気、目、耳、鼻や、試験合格、学問向上を願う人たちで、お詣りが絶えない。以前は、大師堂の梅の木の下にあり、梅の花を仰ぎ見る姿であったことから、「梅見地蔵」と名付けられたといわれる。
- フェルト生地で作られた地蔵絵馬がある。安産や子宝の願い事を書き水子供養堂の璧にかけて祈願する。
奥之院安楽寺
菅原道真の長男、高視朝臣は高知に島流しとなり、その縁で道真公を太宰府天満宮にお祀りする特、九州太宰府にある菩提寺にちなんで弘法大師が建てたのが安楽寺といわれている。もともと善楽寺が30番札所だったが、明治3年の神仏分離・排仏毀釈によって善楽寺はなくなり、本尊阿弥陀如来を安楽寺に移して30番札所とした経緯がある。後に善楽寺は復興されたが、本尊は安楽寺に安置されている。善楽寺と約6キロ離れた場所にある(住所:高知県高知市洞ヶ島町5-3)。同じ境内には薫的さんを祀る薫的神社がある。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日