第16番札所 光耀山観音寺
光耀山観音寺の基本情報
- 最終更新
- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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- 正式名称と通称
- 光耀山千手院 観音寺(こうようざん かんおんじ)/通称:-
- 本尊と宗派、開基
- 千手千眼観世音菩薩 / 高野山真言宗 / 弘法大師
- 真言
- オン バザラ タラマキリク
- 御姿
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- 御詠歌
- 唱え奉る 四国霊場 第16番 光耀山 観音寺 の御詠歌に
- 忘れずも 導き給え 観音寺 西方世界 弥陀の浄土へ(わすれずも みちびきたまへ かんのんじ さいほうせかい みだのじょうどへ)
- 所在地と電話番号
- 〒779-123:徳島県徳島市国府町字観音寺49(088-642-2375)
- 前札所と次札所
- 前札所:第15番札所 国分寺(1.8km)/次札所:第17番札所 井戸寺(2.8km)
- 交通と駐車場
- 徒歩:国分寺→火ノ見→観音寺(交通機関利用不可)
- JR徳島線府中駅下車。鴨島行きバス18分(観音寺北下車)。徒歩(300m)。
- 駐車場:無料(6台:境内まですぐ)
- 宿泊
- 宿坊なし
光耀山観音寺のその他情報
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- 2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ
天平13年(741年)に寺は創建されたと伝えられ、聖武天皇勅願の道場であった。弘仁7年(816年)に弘法大師が留錫し、ご本尊の千手観世音と脇士の不動明王・毘沙門天を一刀三礼で刻み、それぞれ安置したとされる。その後天正年間の長曽我部の兵火にかかって寺は焼失して荒廃。万治2年(1659年)に僧宥応法印が再興して旧観に復した。また、領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現在の堂宇はその頃に再建されたものとされる。明治の頃、姑をいじめた女性がこの観音寺でその報いを受け、雨が降っているのに着物に火が燃え移り全身に大火傷をし、大師の戒めにより反省した、との話も伝えられている。
堂塔
山門を入れば本堂が目の前にあり、左右に納経所と大師堂が位置する。
夜泣き地蔵
境内には、岩に囲まれた「夜泣き地蔵」が祀られている。この地蔵尊は子供の夜泣きに御利益があるとされる。御利益を頂き願いが叶うと、お礼に赤いよだれかけを地蔵に奉納するのが習わしとなっている。また、お年寄りの夜よく眠れるようにとの願いも叶えてくれるとされる。
鐘楼門
和様重層の堂々とした門。他の寺とは違い、塀ではなく寄進された金額を彫り込んだ石柱で敷地を区切られている。
その他
行事
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その他の情報
- 弘法大師の筆跡を刻印したと伝えられる光明真言の印版を宝蔵する。これは霊場唯一。
- 「右へんろ道」と刻まれた古い地蔵尊の道標が遍路道の曲り角にある。道の両側には商店が並び、その中に観音寺の山門がある。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日