教師の倫理綱領

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当倫理綱領は、昭和二十七年六月十八日のものであり、最新版は教師の倫理綱領(昭和三十六年五月二十日)である。

教師の倫理綱領

まえがき

これまでの日本の教師は、半封建的な超国家主義体制のもとで、屈従の倫理を強いられてきた。

日本の社会体制が、まったく違った観点から再建されなければならぬ今日、われわれはこれらの因習をたちきり、新たな倫理をもたねばならぬ。

倫理はたんに普遍的な永遠なものではなく、具体的な、特定な時代と民族にあたえられた歴史的課題をかちとるためのたたかいをを通してつかみとらなければならぬ。しかるにこんにち、われわれの社会は、ますます貧乏と失業を一般化させ、民族の独立さえも危険におとしいれている。

破壊的な近代戦争の脅威が、内からも外からも、この歴史的課題についての認識と、その課題解決への石をゆがめてきている。このような状態のなかで、人権を尊重し、生産を高め、人間による人間の搾取を断った平和な社会をもとめようとするわれわれ人民の念願は、労働者階級の高い自主的な成長なしには達成されない。教師はいうまでもなく労働者である。日本の教師は全労働者とともに、事態が困難を加えれば加えるほど、ますますその団結を固めて、青少年をまもり、勇気と知性をもって、この歴史的課題の前に立たねばならぬ。右の認識にもとづいて、われわれは次の倫理綱領をきめる。

ここでは、この倫理綱領ぜんたいを貫く、基礎的な考えかたをのべてある。わかりやすくするために、ぜんたいを六つの部分にわけて考えてもらいたい。第一段は、はじめから「――屈従の倫理を強いられてきた」まで、第二段は、「日本の社会体制が――」から、「新たな倫理をもたねばならぬ」まで、第三段は、「倫理はたんに――」から、「――つかみとられなければならぬ」まで、第四段は、「しかるにこんにち――」から、「――解決への意思をゆがめてきている」まで、第五段は、「このような状態のなかで――」から、「達成されない」まで、第六段はそれから終りまでである。 第一段の趣旨は、説明するまでもないことだが、戦前の日本の教師に「与えられていた」倫理は、まったく「屈従の倫理」でしかなかった。ということである。「臣民の道」や「皇国の道」ということに基礎をおいた「練成教育」は、こどもの無条件屈従を強いたのはもちろんだが、教師もまた例外ではなかった。「祭政教一致」などということばの記憶もなまなましいように、教育も政治も、天皇をタブー視する考えかたのなかへぶちこまれて、教師はひたすら「承詔必謹」をもとめられ、うやうやしく上をうやまって「固有の基本的人権」を殺してしまった。「恭順」と「屈従」と、「卑屈」と「無気力」と、「因循」と「姑息」などが、半封建的な超国家主義体制のもとであえいでいたというのが、いつわらぬ「これまでの日本の教師」の習慣であったわけである。 しかし、新しい日本をつくる教師はこれではいけない。だいいち、日本の社会体制そのものが、全く違った観点から作り直されねばならぬ立場におかれているはずである。領土の四五%を失い、多くの生産施設を破壊され、狭くかつ貧しい国土に、八千万もの国民が充満している。この資源の少ない国土にしがみついて、「健康で文化的な生活」を営むためには、新しい考えかたにもとづく合理的な社会体制が生れてこなければどうにもならない。古典的な資本主義体制や、半封建的な超国家主義体制のなかからは、われわれの平和は期待は生れてこないであろう。われわれ自らも、すすんで自己改造をしなければならないが、それとともに、いままでとは「違った観点」から、日本の社会体制が再建されなければならない。そのためには、教師は「因習をたちきり、新たな倫理をもたねばならぬ」わけである。第二段はこのことを述べてある。 それでは「新たな倫理」とはどういうものであろうか。それが第三段の趣旨で、ここはこの前文の骨格となっている。その中心の考えかたは、「倫理はたんに普遍的なものではない」ということである。「忠義」という古い倫理は、いまはこれを適用「させては」ならない。「責任」といったところで、「どういうことを」、「誰に」責任をもつかが問題である。「たんに」普遍的に倫理を考えようとしても考えきれないはずである。それをむかしの御用学者たちは、「古今ヲ通ジテアヤマラズ」とか「中外ニ施シテモトラズ」などといった。天野貞祐の「道理の感覚」なども、根本はそういう考えかたに立脚しているのだが、こういう考えかたのなかでは、新しい時代を創るはずの倫理が、きわめて楽観的かつ普遍的に考えられて、結局、いまわしい旧秩序維持に役立っているようである。倫理は「たんに」そういう普遍的なものではなく、「具体的な、特定な時代と民族に与えられた歴史的な課題をかちとるためのたたかいを通じてつかみとらなければならない」のである。日本には、現在、人民の平和や幸福をかちとるための多くの課題が与えられている。われわれの倫理は、具体的に、その課題にぶつかるところから生れてこなければならないのである。 第四段には、われわれのその歴史的な課題を、ことば少なくのべてある。ことばは短いが、その内容はたいへんなものである。貧乏、失業、民族独立の危機、破壊的な戦争の脅威――、こういう一連の脅威から、日本全体を解放するしごと、それがわれわれに与えられた歴史的な課題である。新しい倫理は、この脅威にひるむことなく立ち向い、それにうちかつ行動を通じてつかみとらねばならぬ。教師は、もちろん、そのたたかいの先頭に立つべきであるが、このたたかい、「労働者階級の自主的な成長なしには達成されない」のである。 第五段ではそのことを強調している。日本に与えられた困難な課題を、「人民の念願」にしたがって解決して行くしごとは、労働者の力によってはじめて可能であるという考えかたは、労働に対する極めて近代的な考えかたを示したもので、労働を尊び、労働を誇る心が含まれている。「人間による人間の搾取」が公然と行われているような社会では、われわれの課題は、かちとることができない。働くものの「人権を尊重し」「生産を高め」て「平和な社会」をつくるためには、働くものの「自主的な成長」がどうしても必要なのである。教師は、これらの労働者のなかにあって、「全労働者とともに」困難な課題に立ちむかわなければならない。 おわりに、教師が労働者としての自覚と誇りをもつことと、自覚をもとにした団結の必要をのべてあるのは、それなしには課題の解決ができないからである。「勇気と知性」がいまほど必要な時期はないが、それとても、その勇気や知性が、教師が働くものとともにたたかうひとつひとつの場に、生きて働いてこなければなんにもならない。こういう勇気や知性が、新しい倫理の底になければならないのであって、教師が労働者であることを忘れ、全労働者の「民主的な成長」におくれるようなことでは、新しい倫理の成長つまり新しい日本の立ち上りは期待できない。

以上がこんどの倫理綱領を貫く基礎的な考えかたであるが、前文第三段の骨格となる考えかたについて、深く研究したい人々、柳田謙十郎氏の「倫理学」をすすめる。

一 教師は日本社会にこたえて青少年とともに生きる

平和の擁護、民族の独立、搾取と貧乏と失業のない社会の実現は、われわれに課された歴史的課題であり、民主主義を信ずるわれわれの不動の念願である。

青少年は、各人の個性に応じて、この課題の解決のための有能な働き手となるように、育成されなければならない。日本の青少年が自由と幸福をかちとる道は、これ以外にはない。

教師は青少年とともに生活し、その必要にこたえるための学習を組織し、指導する。

教師は自ら深い反省に立って、勉学し、努力する。

ここでは、まず、われわれに課せられた歴史的課題を具体的に説明してある。平和を守りとおすこと、これが第一である。民族の独立をかちとることが第二。そして、この二つの大きい課題を果すためには、どうしても搾取と貧乏と失業のない社会を実現させなければならないとしてある。「民族の独立」などというと、一般には、民族主義的な、あるいは国家主義的な考えにとらわれやすいのであるが、ここでは、決してそういう意味ではない。民族の独立とは、日本に、真の民主主義を樹立するために必要な要素として、いっさいの外国に対する政治的経済的れい属関係を絶つということであって、日本人が、日本人の頭で考えたことを、日本人の手で民主的に実行できる状態をさすのである。外国の軍隊が理由もなく駐屯したり、それによって、日本の政治が大きい圧力を受けるようでは、真の独立ではなく、したがって、真の意味における民主主義も存在しないことになる。デモクラシーのないところに、どうして人民の幸福があろうか。また、人民の幸福を忘れたような政治では破壊的な戦争の危機さえ予感されるようになるのである。 平和を守るということも、こういう意味から必要なことなのであって、それは、日本が独立を保つということと切り離しては考えられない。日本人が、日本人として国際的にも独立し、平和な社会を営むためには、充分デモクラシーが浸透しなければならず、そのためには、搾取と貧乏と失業を伴う今日のような社会制度は根本から考え直されなければならない。働く人々、つまり、日本の将来の繁栄をになうべき人々が、絶えず、搾取による低賃金と、働いても働いてもやってゆけない貧乏と、生命をも奪いかねない失業の不安にさらされているようなことで、どうして、平和な日本を築くことができようか。われわれは、こういう社会体制を、根本から考え直して、失業や貧乏の原因をつきとめ、その原因を払いのけて、新しい日本をつくり出さなければならない。そのことによって、循環的にいえば、日本の独立も平和も可能なのである。これが、われわれに課せられた歴史的課題だとこの倫理綱領は訴える。 もちろんこの課題は、われわれ教師だけのものでなく、日本人全体のものであり、したがって育ちゆく青少年のものである。青少年は、将来的には、われわれよりも遥かに有為なこの課題の担い手である。教育は、こうして、かくの如き課題を担った強い青少年の育成に焦点を合わさなければならない。日本の教育基本法という法律は、「人格の完成」というきわめて抽象的な原理宣言を公けにしているが、それでは教育の目的は明らかにならない。「個人の尊厳」を揚言しながら、いつも「基本的人権」を奪い去っているような日本の社会体制のなかで、人格の完成というが如きあいまいなことばが、教育の目的として正しく理解されるはずはない。われわれの従事する教育は、絶えず「社会的な機能」social functionなのであって、その社会的な機能は、さきにのべたわれわれの歴史的課題を果す努力を中心として働いていなければならない。このように、はっきりした、具体的な目あてを持った教育によって、日本の独立と平和とともに、青少年の自由と幸福も生れてくるのである。 これを、われわれが教壇に立つにさきだって、まず不動の信念としてかたく持っていなければならない。全国五十余万の教師は、切実な日本の歴史的課題の前に勇敢に、青少年とともに直面しなければならぬ。その課題のきびしさ故に、おそれ、おののき、たじろいではならない。日本には、われわれの課題を課題とせず、ますます、搾取を罪深きものとし、ますます貧乏と失業をつくり出している人々もいないわけではない。しかも、それらの人々の努力は日ごとに強大である。われわれの努力は、中傷と、妨害と、軽侮のなかにおかれるかもしれない。人民は盲い、正しいものを正しくみることができず、誤り、疑い、たびたびにわたって動揺が起るであろう。しかし、全国の教師は、青少年と「ともに」、ひるむことなくこの課題に直面して生きなければならない。そのために、われわれ教師は、絶えず深い内省をもとめられるであろうし、またうむことなき勉学をも要求される。まことに当然な要求である。われわれは、この要求にこたえるためには、きわめて不利な境遇のなかに放置されている。生活はきびしく、妻や子を経済的に満足させることもなかなかできない。しかし、それ故になおさら、われわれの決意を不退転のものとして、青少年とともに生活すべきである。その生活のなかから、われわれの課題を貫きとおす学習の内容と方法も発見しよう。教師は、毅然として、その学習を組織し、かつ指導しなければならぬ。 この項では、とくに、「青少年とともに生きる」と書きぬいて、われわれのたたかいの出発点が、どこにあるかを明らかにした。教育者の運動やたたかいが青少年の問題から離れたところからきり出されても、それは、自分も納得することができず、またしたがって、他のなにびとをも満足させることができないであろう。

二 教師は教育の機会均等のためにたたかう

憲法の保障する個人の人格と尊厳と教育の機会均等は、今日なお、空文にとどまっている。

青少年は各人のおかれた社会的経済的条件によって、教育を受ける機会をいちじるしく制限されている。

特に勤労青年大衆の教育は、まったく投げ出されているといってよい。学校の内外における子供たちの生活と成長は、平等な条件を保証されてはいない。

十八世紀的個人主義はもはや個人を確立する道ではなく、教育の機会の均等化のために社会的な措置が取られなければならぬ。

教師はみずからこの必要を痛切に感じとり、あらゆるところで教育の機会均等のためにたたかう。

いま、主として経済的な理由から、六三制を六二制という議論が行われている。また、子供や父兄に喜ばれてきた学校給食も、いよいよ今年限りで打ち切られようとしている。勉学の機会がいちじるしく制限され本来共同であるべきこどもの生活に、むりやりに非教育的な差等がつけられようとしているわけである。さらにひどいことは、東北地方では、きわめて非人道的な自動の人身売買さえも行われ、経済的な理由から、不就学児童もしくは長期欠席児童なども増大の一途を示しているようである。都会では、いわゆる浮浪児が跡をたたず、街頭児という特殊な児童群も生れてきている。これらの児童は、あの美しい児童憲章にもかかわらず、完全に勉学の場からしめ出され、しかも、その数は日ましにふえるばかりである。これらの児童に対して、教育は、「機会の均等」というよりはむしろゼロである。彼らは、不等な労働に使役され、あるいは、何もしないで街頭をウロついているだけである。教育は、ここで完全に彼らのものではない。 だが、彼らだけではなく、さらに数多くの青年が、各人のおかれた社会的、経済的条件のために、次第に教育から遠ざけられつつある。「貧しい」という青少年の責任ではない条件のために、彼らの教育を受ける機会はいちじるしく制限されているわけである。各人固有の能力とも関係なく、進学したいという熱烈な個人の願望にもかかわらず、ただ単に「貧しい」という条件だけで、多くの青少年は勉学の機会を失っている。そして、各人固有の能力とも関係なく、進学したいという熱烈な願望がないにもかかわらず、ただ単に「裕福である」という条件だけで、不相応な教育の機会が、限られた一部の青少年に与えられつつある。六三制は、九ケ年の教育の機会を、どの青少年にも与えた点で原理的には大きい意義があった。それは、民主主義に忠実な政策であり、貧しい青少年への最低の教育機会であった。日本の新しい憲法はそれを保障した。にもかかわらず、充分な財政的配慮がないまま、まず、六三制という民主的な制度をかかえたままで機会均等の精神がくずれはじめた。父兄を苦しめる寄付は青少年を同時に苦しめて、「教室」は「供出」と同じくらいに農民経済を圧迫し、そこで学ぶ青少年とともに、六三教室は未曾有の貧困を経験した。そこでは、「貧しい」という条件さえ均等でなく、ついに、その教室にさえも訪れることのできない青少年をつくりあげた。 「義務」教育は、これらの青少年および家庭には、まことに重苦しい義務となり、彼らは、実は「権利」であるはずの教育を放棄している。不就学、長期欠席児童は、貧困な日本教育の谷間である。その谷間を庭として、間断なく新しい脱落者が増大しつつあるのが、日本教育の現状である。とくに、働かなければ生きることのできない青少年の教育施設は、「全く投げ出されている」のである。さらに、日本の高等教育は完全に働く人々の子弟のものではない。高い授業料、学ぶために必要な(あるいは必要をとおりこした)多額の経費、妥当でない進学条件、不合理な選抜方法――、これらは、どの条件をとってみても働く人々のものではない。かくの如き、「学校の内外における青少年の生活と成長の均等」の精神に反するものであり、それは、デモクラシーの本旨ではない。われわれ教師は、日々の教育活動によって、これらの事実を知られつくしている。 そして、かかる状態の克服を心から念願しているはずである。われわれは、「あらゆるところで教育の機会均等のためにたたかう」ことを固く決意すべきである。しかし、「決意」だけでは容易にのぞむ事態を招くことができない。われわれは、科学的に、日本の社会を洞察し、広く深い立場から、日本の社会体制そのものを考え直さなければならない。この頃では、どうして教育の機会均等をかちとるか、ということについて、最も中心的な原理をかかげている。それは、「十八世紀的個人主義はもはや個人を確立する道ではなく教育の機会均等化のためには、社会的な措置がとられねばならぬということである。 教育基本法は、前にものべたように、極めて楽観的に「個人の尊厳」や「人格の完成」ということをのべており、それをどうしてかちとるかという現代的な課題にはふれてはいない。「個人の確立」という教育の機会均等の課題につながるしごとは、もはや十八世紀的な着想ではなし遂げられない。現代の社会構造は、それほど単純なものではなく、したがって、単に「封建主義とは区別することができる程度」のデモクラシーの段階では、真の意味の「個人の確立」はできるはずもないのである。それには、社会構造のかなめかなめをとりかえる「社会的な措置」がとられ、新らしい立場から考えられた社会体制が生れてこなければならぬのである。その社会体制をどういうことばでいいあらわすにしても、そこでは、国民の多数をしめる勤労階級の幸福が確保され、人間の人間による搾取のない状態が基礎とならねばならない。そういう社会体制の中で、はじめて、教育は本来的な機会均等のすがたをとり、すべての青少年に、平等な生活と成長の条件が生れてくるのである。イギリスやソ連の教育制度は、その意味で学ぶべきところが多いであろう。かくの如き社会変革には、あるいは、きびしく長い政治的なたたかいが要求されるかもしれない。封建的な日本では、ことさらそのたたかいの国難が予想されるけれども、むしろ、そうであるからこそ、全国の教師の団結したたたかいがもとめられる。「教師は、みずからこの必要を痛切に感じとり」、どんな条件のもとでも、どうんな機会ものがさず、全力をつくしてこの課題の解決をはかりたい。

三 教師は平和をまもる

平和は人間の理想であり、戦争は日本のいssっさいの希望を破壊する。日本社会の歴史的課題は、平和なくして達成されない。

個人の人権が尊重され、人民がみずからの生活に向上の希望と進歩の確信がもてるとき、平和は人民の最大の希望となる。人民に不満と絶望があれば、それに乗じて戦争への道も用意される。

教師は人類愛の鼓吹者、生活改造の指導者、人権尊重の先達として生き、いっさいの戦争挑発者に対して、もっとも勇敢な平和の擁護者として立つ。

「個人の人権が尊重され、人民がみずからの生活に向上の希望と進歩の確信がもてる」ようになるには、なんとしても平和な時代でなければならない。理屈ではなく、具体的な事実としてわれわれはそれを知っているか。かって、無謀な戦争が世界を通じて行われたとき、どこに個人の尊厳があり、どこに人民に向上の希望と進歩の確信があったであろうか。第一項でものべてあるように、われわれは、いま、切実に歴史的課題の前に立っている。そして、それらの希望は、どれをとってみても平和への期待にかかっているのである。「平和は人民の希望」であり、「人類の理想である」ことは疑いはない。われわれは組織の力をつくして、平和を守り、「いっさいの戦争挑発者に対して、もっとも勇敢にたたかうべき」である。そのためには、どうしても、何のために、誰が、どういうときに、戦争を起すかということについて、互いに確かな知識をもたなければならない。この項では、わずかに、「人民に不満と希望があれば、それに乗じて戦争への道も用意される」とのべてあるだけであるが、それはそれとして、多くの現実的な問題について、われわれは、何が原因で戦争が起るかということについての考えかたをたしかなものにして行かねばならない。 いま、最も大きい問題としなければならないのは、われわれのかかげている、「平和三原則」である。全面講和、中立堅持、軍事基地提供反対、というわれわれの主張は、サンフランシスコの講和条約によって、いまや完全に敗北している。しかし、これは、決して、われわれの「考えかた」が敗れたのではない。現実の一方的な圧力が、理不尽にも、そういうかたちを作りあげただけであって、別にそれが正しいからそうなったわけではない。もちろん、サンフランシスコ条約が、すべての人民の希望だというわけでもない。むしろ、名もなき人民の心は、これがもたらす結果について、大いなる不安と憂慮にゆらいでいる、というのが事実であろう。だから、われわれは、少しもわれわれの主張を曲げる必要はない。いや、むしろそういう現実だからこそ、いっそうこの三原則を強く主張しなければならないのである。サンフランシスコの条約にもとづいて、今後日本は、ソ連をはじめとする共産主義諸国をそのまま交戦国として残し、それらの国々との貿易を拒絶し、もちろんもはや中立というような立場でもなく、自動的にアメリカと行を共にするばかりか、多くのアメリカ軍隊を国土に駐屯させることになる。至るところに危険極まりない軍事目的による航空基地ができ、軍用機が上空を乱舞し、やがて日本自らも再武装することになる。 こういう事態は、日本という小さな国を中心にして、ますますソ連とアメリカの対立を増すであろうし、その臨戦的なふん囲気は、しらずしらずに国民を上気させて戦争の心構えをつくりあげてしまうことになるであろう。ソ連とアメリカの国際的な対立は、いまでは、単に一片の利害によるものではなく、大きく資本主義社会構造と共産主義社会構造の対立というふうに深化してきており、従って、それは根深いものといわねばらなず、また一朝一夕には克服しきれない要素をもっていると理解しなければならない。その意味で、両国間の戦争の危機は絶えず世界につきまとうと思わなければならないが、しかし、それは、本来アメリカ自身の問題であり、ソ連自体の問題である。平和憲法をとりきみ戦争抛棄を世界に宣言した日本が、こんにち、自ら好んでなにもその対立のなかに身を置く必要はない。しかもアメリカのわずかな安心のためにソ連のはかりしれない敵意をかき立て、その憎悪が、アメリカよりも、むしろ日本に注がれるというような事態を、なぜ日本自らが招く必要があろうか。中国とソ連の同盟条約は、すでに日本を危険仮想敵国としている。そのなかで、逆に彼らを敵とみて、大砲をつくり、兵備をととのえ、アメリカ軍とともに有事に備えるというようなやりかたは、好んで戦争の危機をかき立てているようなものである。 朝鮮に動乱が起きたとき、日本の諸株式は、その報をいれて一せいに値上りした。「特需」ということばが生れ「新特需」という現象もあらわれて、日本の経済は、デフレ傾向からにわかにインフレ型に転じ、資本家階級に大望の経済的満足を与えた。「戦争はもうかる」という軽はずみな考えかたは、つい、つつしみを忘れて平和の脅威という不謹慎なことばさえ生んでいる。「平和は人民の希望である」けれども、資本家にとっては、それは「もうからない」ということであり、まさしく、おそるべき「脅威である」というわけであろう。或いはそうかもしれない。それが、資本主義社会構造がもっている宿命的なガンであろう。しかし、それなら、その宿命的なガンを治療しさえすればよい。人民の組織的なえい智によって、大きく社会体制を改造し、平和が「脅威」ではなくて「希望」であるような環境をつくりあげるべきであろう。 「平和が脅威である」と直感的に感じている人々、つまり資本家たちは、この際、戦争に人民をかりたてる人々として、まっさきに排撃されてしかるべきである。教師は、「人類愛の鼓吹者、生活改造の指導者、人権尊重の先達」とならねばならぬから、それらの希望を結実する基礎として、どうしても平和を守りぬくことに全力をつくさねばならない。ちかごろ、平和という共産党の第五列だというふうに中傷し、われわれの運動を妨げるものも多いが、それらは、ことごとく悪意の戦争挑発者だと思えばよい。われわれは、愛する祖国と青少年を、そのような戦争挑発者にまかすことなく、人民の希求にしたがった平和なものに育てあげなければならない。そのためには、いまは勇敢な平和へのたたかい以外に途はない。「教え子をふたたび戦場に送るな」という切実なスローガンは、全国の教師ひとりひとりの胸をやく祈りとならなければならない。

四 教師は科学的真理に立って行動する

社会の進歩は、科学的真理に立って、課題を合理的に解決することを通じておこなわれる。

科学の成果を無視する行動は、進歩をもとめる人間性を抑圧する。

教師は人間性を尊重し、自然と社会を科学的に探求し、青少年の成長のために合理的な環境をつくり出す。

そのために、教師は相互に経験をわかちあい、学者、専門家ともひろくふかく結合する。

この項以前の三つの項および前がきでは、日本の教師が直面している民族的、歴史的課題についてのべた。それらはすべて大きい課題であった。また、この項以下の六つの項でも、それぞれ日本の教師が直面しているたたかいの目標についてのべてある。それらはみな、いくらかの軽重はあるにしても、それぞれ重要な闘争目標である。われわれは、これらのすべてのたたかいの目標を、ひとつひとつ完全に果してゆかなければならないが、それには、はっきりした考えと合理的な方法が樹立されていなければならない。そこで、この項では、それらの「やりかた」の原則的な問題として「科学」をとりあげてある。科学は、合理的な精神や批判的な精神の結果である。われわれは、もちろん近代社会に生きているわけであるから、科学そのものを自らのものとする努力も充分でなければならないが、それとともに、まず、「科学的真理によって行動する」ことを学ばなければならない。 科学的真理に立って行動するということは、批判的な精神や合理的な精神を、余すところなく身につけるということである。自然や社会を絶えず批判的にながめ、いつも「合理的に課題を解決する」という態度が確立して、はじめてわれわれのたたかいが成功するのであって、無批判な、場当りの思いつきや、系統的でない着想では、いつまでたっても問題は解決されない。三木清の哲学ノートの「新しき知性」の項をみるとつぎのようなことばがでてくる。

「知性人は眼前の現実に追随することなく、あらゆる個人と民族の経験を人類的な経験に綜合しつつ、しかも経験的現実をこえて新しい哲学を作り出さねばならぬ。このしごとの成就されるためには、偉大な構想力が要求されている。」

この「偉大な構想力」が現代の知性であり、同時に科学の生みの親だ、と彼はのべている。そういう知性、つまり自然や社会に働きかけて、それを人民の幸福を導く方向やかたちに「くみたてなおす力」こそは、まずわれわれのものとしなければならない。教師はすべて知識階級に属する。知識階級とは、科学的真理に立って行動する人々、いいかえれば、三木清のいう「構想力」を、人民の幸福をかちとるために、ひろく自然と社会に対してそそぐことができる人々をさしているのでなければならない。社会の進歩は、かくの如く人々の団結した努力によってはじめて可能であって、批判もなく合理的な精神もあいまいでは、「健康で文化的な社会の実現」は到底期しがたい。われわれ教師は、すべてのたたかいの基礎として、この批判精神と合理主義、つまり知性、いいかえれば、「のぞましい社会をもたらす健康な構想力」を身につけなければならない。そして、「思索人のごとく行動し、行動人のごとく思索する」ことによって、なによりもまず、青少年のために合理的な環境をつくりだしてやらねばならぬ。 教育社会は、むかしは、もっとも時代遅れの、姑息と因循にみちた、きわめて封建的な社会とされてきた。いまでも、なおいくつかの学校で、その伝統が、そのままの姿で伝えられているかもしれない。校長に対する一般教師の封建的な配慮、ひとむかし前の児童観、父兄に対する間違った卑屈や優越感、自分を自ら卑めるような前近代な人間観――、それらがひしめき合って日本の教育環境をつくりあげているようでは、せっかくの民主主義が逆もどりする以外にはない。いま、日本における教育は、せっかくの戦後の努力にもかかわらず休息に逆もどりを要求されている。この逆もどりのなかには、制度上の問題もあり、教職員の身分上の問題もあり、給与の問題もあり、はなはだ多岐をきわめているわけであるが、それらの逆もどりの中心になっているのはおもに、人間や、自然や、社会を考える考えかたに関連したものであり、それだから一ばん危険な傾向だといえるようである。 すべてを封建的なふん囲気のなかにねじ込もうとしているこういう傾向に、教師は勇敢にとどめをささなければならない。封建主義は科学のない時代の産物である。人間を家畜のように見、家畜以上の労役に服させて、わずかに一部のものが享楽するというような時代に、いわゆる知性があり得ようはずはなく、もちろん、正常な意味における社会の進歩はあり得ない。われわれは、人と人との関係においても、民族と民族の関係においても、国家と国家の関係においても、人間性を抑圧せず、かつ進歩をもとめることのできる科学的な配慮をかちとらなければならぬ。そうでなければ青少年の成長のために、合理的な環境をつくるしごとも実を結ばないであろう。そのためには、教師に一そうの勉学が要求される。 そこで、すべての教師は、まず、「相互の経験を分ち合う」ことはもちろんであるが、それとともに、「学者や専門家とひろく深く結んで」、自ら古いおのれと訣別し、自己改造の深化をはかる必要があるのである。この項では、その努力が、すべてのたたかいの基礎となるとつげている。

五 教師は教育の自由の侵害をゆるさない

われわれの教育研究および教育活動の自由は、しばしば不当な力でおさえられている。言論、思想、学問、集会の自由は、憲法によって保障されているにもかかわらず、じっさいには、いちじるしく制限されている。

教育における自由の侵害は、青少年の学習の自由をさまたげ、知性の自由な活動をはばみ、そのうえ民族の将来をもあやまらせるものである。教師は深くこれを知るが故に、学校と教師にたいするすべての不当な圧力とたたかう。

この項では、教育における「自由」の意味が、どれほど尊いものであるかについてのべてある。例えば、われわれが平和教育をしようという場合に、それは全く当りまえのことであり、むろん、こんにちの日本では、一そうすすめられねばならぬことであるのに、そういう教育をした教師は、「首をきるぞ」とおどかされた例がある。ここには、少くとも教育の自由はない。そればかりか、その自由を奪われた教育によって、もちろん、知性の自由な活動などもあり得ようはずもないが、大きく民族の将来に暗いかげをやどすことにもなる。 さすがに「戦争さんせい」の教育をせよ、というごときまではないが、平和教育にケチをつけるという教育の自由の侵害は、ずいぶんあちらこちらで見られるようになった。しかし、ことはたんに平和教育の問題だけに限られてはいない。われわれの教育活動は、いたるところで、問題にならないほど小さいことがらについてさえ、どんどん自由を奪われてゆきつつあるようである。アメリカ教育使節団の報告書がのべているように、「教育は自由のふん囲気のなかでだけ育つ」のであって、不動金しばりの封建的なワクのなかでは、その本来の目的を果すにも果しようがない。 だが、「本当の奴れいは、自分が奴れいであることを知らない」ということばがあるように、われわれ固有の自由が、日ごとに奪われるるあるような時代にあっても、その自由の喪失を気づかぬ人々もないではない。例えば、新しい日本、或いは近代的な社会では、総理大臣であろうが、文部大臣であろうが、または県知事であろうが、すべてわれわれの公僕であり、彼らの主人はむしろわれわれであるにもかかわらず、一般的な印象ではその逆の関係が成立しているように思われる。そして、そこにいわれのない差等感をつくりあげ、自ら卑下していわゆる官尊民卑の風をますます高からしめているようである。 これでは、自ら「考える自由」や「自分のことを自分できめる自由」や「思ったことを口にだす自由」を投げすてたようなものである。しかも、そういう自由の廃棄を、当然のことだと思ったり、すすんで「謙譲」や「忍耐」や「従順」などの道徳と誤認し、これを美化して考えるようでは救い難い。言論、思想、学問、集会の自由は憲法で保障されているのであるからおそれることはない。われわれは、これらの自由を最高度に発揮して日本に近代的な自由のふん囲気を作りあげねばならない。そういう自由のないところに、どうして教育の自由があり得ようか。また教育の自由が確保されないところで、どうして社会の進歩をかちとることができようか。教育は、もっとすぐれた、平和的な社会改良の方法でもあるが、その教育に、完全な自由が保障できないようなことでは、われわれの民族的課題は果しえない。 さきごろ日本では、レッド・パージと称して、多数の共産主義を信奉する教師を教壇から追った。これらは、どう考えても、教師固有の自由の制限といわざるを得ない。よしんば共産主義に反対であってもなかば暴力的な方法で彼らを追放することには、自由な人間として賛成できない。もちろん、すべての共産主義者も国民であり、共通のおきての中で生活しているはずであるから、無法な行動は罰せられてしかるべきであろう。しかし、単に思想として共産主義を信奉し、それ故に共産党員であるということが、どうして理不尽な追放に価するであろうか。これでは、全国民でとりきめた憲法が全く空文だということになる。このほどオーストラリヤでは、共産党を非合法化するかどうかということで国民投票をやり、結局非合法にはしないことにきまった。 国民投票をするということも民主的だが、その結果についても、「思想の自由」という近代社会の原理から、あたりまえだが日本とくらべて関心せざるを得ない。いま日本では、教職試験にまでそれがつきまとって、自由に自分の考えがのべられないような状態になってきている。しかも、共産主義者までもが、いわれのない暗い気持におとし入れられつつある。食うために「言論をひかえ」食うために自分の「思想」をいつわり、食うために「学問を堕落させ」、食うためにのぞましい「集会をさしひかえる」ようなことでは、またぞろ軍団主義やファッションの復活もやむを得ないことになるであろう。軍国主義やファッション国家のなかで、教育はどう位置づけられ、すべての教師がどのように苦しめられたかは、すでに高い代償で実験ずみである。そこには、教師にも、青少年にも、またすべての人民にも幸福はない。われわれはふたたびその愚はくり返すまい。 その愚をくりかえさないために、われわれは、この「闇黒の時代」に抵抗する固い決意をつくりあげるべきである。「学習の自由」、「知性の自由」、「教育活動の自由」は、日本民族の独立と繁栄の課題につながる。この項ではこれらの「事実」を強調した。

六 教師は正しい政治をもとめる

これまでの日本の教師は、政治的中立の美名のもとにながくその自由を奪われ時の政治権力に、一方的に奉仕させられてきた。戦後、教師は政治的行動の自由を与えられ、団結して正しい政治のためにたたかってきたが、いまやその自由は、ふたたび奪い去られようとしてる。政治は一部の勢力に奉仕するものではなく、全人民のものであり、われわれの念願を平和のうちに達成する手段である。

教師はひろく働くものとともにその政治に加わり、力を合わせて正しい政治をもとめる。

この項では政治と教育の関係を建設的にのべてある。さきにものべたように、教育は社会的な機能であり、その社会は、政治によって動かされているかぎり、教育と政治が無関係であるということはない。したがって、教育にたずさわる教師が、政治に無関心であるということは許されないことである。アメリカ教育施設団の報告書にも、この間のいきさつにふれて、教師が、「政治に関心がないということは名誉ではなくて、逆に恥辱である」とのべてある。教師が政治に関心をもつということは、むしろ自然のなりゆきである。例えば、青少年のためによりよい環境を整備しようとして、校舎の増築や学用品の無償配布を希望する。その希望は、国家や地方公共団体の政治的配慮で達成させられる。そこで、教師は、その希望の達成のために、国家や地方公共団体のその政治的配慮をみまもる。 だれがそのことに反対し、だれがそのことに賛成するかについては、しらずしらずに大きな関心を持たされてくる。賛成者には感謝の心を抱き、反対者には怒ることができる。問題の軽重にしたがって、或いは、その都度政党支持の問題も起きてくるであろう。さらに、問題が発展して、窮極的な政治的課題になってくるなら、教師の政治的関心も一そうはば広いものになってくるかもしれない。それは自然であって、なにびともそれを責めることはできない。このような関心が、しだいに「行動化」してくることもまた当然であって、実践されない着想などは意味がない。むしろ、こんにちの日本では、その実践にこそ重大な価値があるのであるということができる。教師のかかる政治的実践は、青少年の幸福の到来に、なにものにもまして明るい希望を与え得るであろう。ところが、日本の教師には、むかしもいまも、「政治的中立」ということが求められている。論者は、教師が政治的中立を保つべき理由として、「教育そのものがそういうものだ」と告げる。果してそうであろうか。いま日本では、さきにものべたように、六三制を六二制にしようとする動きがある。 また教育委員会制度をかえ、給食をやめ、教員の首をきり、封建的な道徳教育を振興しようとする動きがある。これは自由党という政党の政策である。現に、「道徳教育の手びき」というものが作られて、きわめて反動的な役割を学校教育の中で果しつつある。さらに、日本の文教行政の責任者である文部大臣は、特定な政党内閣に連座して政治を行っている。彼の着想、つまり自由党の教育行政方針は、そのまま、「反対をおしきって」学校教育のなかに注入されつつある彼らの教育行政に、国民のすべてが満足しているわけではない。これに反対する政党もないわけではない。このような状態を政治的中立と強弁することができるであろうか。誰の眼にもわかるように、これらは明らかに「一方の立場」でしかない。しかし、元来、教育とはそういうものなのである。政治的な機能のなかで教育が考えられ、従って、よりよい教育の出現のためには、よりよい政治の出現が考えられなければならないのである。これは、すでに一片の論理ではなく、具体的事実としてわれわれの眼前にせまっている。 だから、教師にもまた「政治的中立」などは求むべくもないはずである。それを、強いて「政治的中立」を求めるというのは、つまり、教師に、「政治に関心をもたないでほしい」ということであり、政治的には「何もするな」ということにひとしい。「なにもしない」ということは決して「中立」ではない。それは「現状維持」ということになり、しぜん、半革新的な立場とならざるを得ない。われわれは、こんにちのような教育の危機の時代にのぞんで、「何もしない」という行為によって、一そうその危機を深めるようなおろかなことはしたくない。それどころか、教育再建のためなら、政治的には「なんでもやる」という積極的な立場に団結しなければならない。教員組合は、戦後、全国のすべての教師に、政治的行動の意義を教えた。そして、その政治的行動の自由は、つぎつぎにのぞましい教育環境を作りあげるのに効果があった。校舎の建築、教職員の給与、教職員の身分、いろいろの教育行政、それらの改善は、教師の政治的活動の自由の結果である。 だが、こんにち、民主主義の原理にしたがって、われわれに与えられた政治的行動の自由は、ふたたび保守勢力によって剥奪されようとしている。国家公務員法、地方公務員法、教育公務員特例法、そしてさらに、こどは選挙法の改正によって、全面的に、われわれの政治活動の自由を奪おうとする動きがあらわれてきている。最近、日教組で全世界の教育者団体に質問を発し、その国の教師に政治活動の自由が与えられているかどうかを問いあわせたが、すべてが自由であった。われわれの国だけ、おどろくべき不自由が訪れようとしている。われわれは「政治は一部の勢力に奉仕するものではなく、全人民のものである」ことを確認し、「ひろく働くものとともにその政治に加わり、力をあわせて正しい政治を求め」なければならない。

七 教師は親たちとともに社会の頽廃とたたかい、新しい文化をつくる

われわれの町や村ではあらゆる種類の頽廃が青少年をとりかこみ、日夜青少年の清純な心をむしばんでいる。

街頭芝居から映画にいたるまでの商業的発行物がもちこむ悪質の娯楽、新聞、ら字を、出版物のうえにみられる頽廃的傾向、競輪、競馬場や不潔な盛り場が発散する亡国的雰囲気などは、特に大きい力となって青少年を毒している。

教師や親たちと力を合わせて社会の頽廃から青少年をまもり、青少年とともに正しく生活し、働くものの新しい文化をつくる。

ここでは、日本全体をおおっている頽廃的な傾向をするどく指摘するとともに、教師はそういう頽廃から青少年を守り、むしろ、将来の青少年にふさわしい新しい文化を「つくる」必要のあることがのべられてある。と同時に、この新しい文化をつくるということは、教師だけの努力では不充分であるから、是非とも親たちと協力すべきであると強調してある。はじめに「われわれの町や村では、あらゆる種類の頽廃が青少年をとりかこみ、日夜青少年の清潔な心をむしばんでいる」とその事実をのべてあり、つぎには、その頽廃がどういうところに顕著にあらわれているかという現実的な叙述がしてある。紙芝居から競馬競輪、または不潔な盛り場までに至るその現象は、こんにちでは誰の目にも明らかなことであり、こと新しくここでのべ直す必要はないが、ただ、どういうわけで、誰がこういう傾向を作っているかについては、教師は充分検討してみる必要があるであろう。それでなければ、どうして、こういう傾向から青少年を守り、すすんで新しい文化をつくるかという具体的な方法が発見できないであろう。

二ヵ月もまえに、自由党内で「映画文化法」という法律が考案されたことがあった。なんでも社会党で考えていた「教育映画助成法」の向うをはったつもりの法律で、社会党が教育映画だけを問題にするなら、自由党では日本の映画全体を問題にしようという意気込みであったということである。具体的には、日本映画の企業的な危機を救うために、映画会社に総体三十億円ばかりの金をやろう、というのが骨子であるということであったが、これはいったいなんという政治であろうか。幸いに、このプランはあちこちの反対でお流れになったが、しかしこういう着想は死んだわけではない。政府の金で映画会社にひもをつけるというのには、もちろん利権あさり的なにおいもないではなく、おおかたそれに近いものであったろうと思われるが、根本は、映画による政治目的の完遂に根ざしているとみてよい。その政治目的にそうために、日本ではどういう映画が作られているか。剣戟と姦通と痴呆が縫いぐるみになった封建的な映画が、しばしばわれわれの顔をそむけさせているようである。その映画に、三十億もの金(厳密には人民のおさめた税金)をそそごうというからには、誰がどうみても深いこんたんがあるといわざるを得まい。そのかたわらで、良心的な映画や、教育映画などが破滅にひんしているというのはどういうことであるか。われわれはここで、そういう興行資本家の商業主義と、封建的な政治勢力とかたく結んだ姿をみぬかなければならない。 映画だけではない。ラジオでも、新聞でも、出版物でも、一方では絶えず「もうける」という商業主義を持ちながら、片方ではうまく封建的な政治勢力と結んで、われわれの良心をマヒさせようと心がけているのである。ときに「チャタレイ夫人事件」のようなこともないではない。彼らはそういうときを利用して、彼らがいかに「倫理」に敏感であるかということを見せびらかせようとはするが、しかしそれは「新しい倫理」とはまるで関係のない「言論の抑圧」に早がわりする。その証拠に、その他の頽廃的な現象は一向問題とされず、むしろ助長されている。むかし三S政策というようなことがいわれたことがある。スクリーン、スポーツ、セックス、この三つのものに力をそそいで頽廃的なふん囲気をつくりあげ、それでも青少年を骨ぬきにさえすれば、不当な支配でも永続させることができるという不穩な着想である。こんにちの日本をみて、誰がそれを心配しないでいられようか。このままでは、人民は愚民化し、青少年もそれに毒されて、日本は救い難い奈落に落ちることであろう。 すべての教師は、これを黙視してはならない。われわれは、まずかかる頽廃から青少年をまもる努力をしなければならない。それには、いろいろな手段や方法があるであろう。現に、多くの教師はその防衛的な努力の中で苦悶していることであろう。しかし、たんに防衛では、われわれの力はそのマス・コンミュニケイションに抗し難い。われわれは、むしろ、防衛的な立場から、一歩進んで新しい文化をつくる方向に努力を傾けるほうがよいようである。文化とはもともと創造である。日本では、文化というものが、なにか伝承的なものに考えられがちであるが、それはそうではない。「つくる」ところに文化の本質があるのであって、単なる伝承は、ますますわれわれの生活を暗くするばかりである。われわれは、映画でも、文学でも、美術でも、ラジオでも、新聞でも、どんな種類の娯楽でも、すべて一度考え直して、ひろく働くものの健康な立場から、働くものとともに作り直さなければならない。それが教師の「正しい生活」であって、その意味で教師は、現在に対しては抗議者であり、将来に対して創造者であるのがよい。親たちも青少年も、そういう教師との協力をのぞんでいるのである。

八 教師は労働者である

教師は学校を職場として働く労働者である。教師は、労働が社会におけるいっさいの基礎であることを知るが故に、自己が労働者であることを誇りとする。

歴史の現段階において、基本的人権、ことばのうえでなく、事実の上で尊重し、資源と技術と科学とをあげて万人の幸福のために使用する新らしい人類社会の実現は、労働階級を中心とする勤労大衆の力によってのみ可能である。

教師は労働者としての自己の立場を自覚して、強く人類の歴史的進歩の理想に生き、いっさいの停滞と反動を敵とする。

日本には、古くから労働をいやしむ風潮があった。それは、長い封建時代に経験させられた圧制の結果である。そこでは、労働することは耐え難い支配に服しているということと同じであった。支配されていることに人間的な屈辱を感じないものはない。それが、しらずしらずの間に労働を屈辱と感じ、いつしか労働をいやしむ風潮をつくりあげた。また労せずして不法な経済的条件を獲得する階級があった。権力と金力を持っているものがそれを独占した。そういう階級に対する本能的な羨望が、労働してもわずかな経済的条件しか保ち得ないことに対する卑屈感をさそった。そして、労働者から「労働が社会におけるいっさいの基礎である」という高潔な自覚を奪い去ったのである。少数の教師のなかには、いまでも、こういう自覚の欠けている人々のいるのは悲しむべきことである。「教師は労働者とは違う」という考えかたのなかには、多かれ少なかれ、この労働をいやしめ、労働者をいやしめる考えがひそんでいる。それは、自分は労働者とは違う、という揚言によって、自ら教育者というものの社会的な地位を高からしめようとしているのであろう。 しかし、どこに労働者より尊いものがあり、どこに労働者より「えらい」人々がいるのであろうか。前記のような錯感は一種の自慰であるとともに、古い秩序や観念をそのまま容認することにもなる馬鹿げたことである。新しい時代は、労せずして「もうける」ような不潔な行為で築かれるのではない。新しい時代は、働くものの輝ける時代でなければならない。領土の四五%を失い、八千万の人民がひしめき、戦争の危機にさらされているこんにちでは、日本の再建は労働大衆の力にまつよりほかにないではないか。われわれに課せられた歴史的な課題は、かくして労働と労働者の問題としてとらえられ、また従って、それを中心として解決されなければならない。そこでわれわれは、あえてまず「教師は労働者である」という自覚を、新しい倫理のなかに数えざるを得ないのである。ここには、自らを労働者とする「誇り」が含まっている。きわめて困難な歴史的課題をにない、その際、われわれが労働者であるということは、この歴史的課題を全身にあつめきっているわけであって、それは、「誇り」でなくてなんであろう。 われわれは、その誇るべき労働者の立場から、「基本的人権をことばのうえでなく、事実のうえで尊重し資源と技術と科学とを、あげて万人の幸福のために使用する新しい人類社会の実現」に力をつくさなければならない。全国五十余万の教師がこの自覚のうえに立ち、「学校を職場として働く労働者」になりきるときに、それとともに、全日本の労働者も自分の使命に目ざめてくれるであろう。全国の教師は、いまは、法律的には「教育公務員」という名称が与えられ、一般の労働法規の適用から除外されている。教師の組織する教員組合は「労働組合」とされず、また従って、労働組合固有のストライキ権、団体交渉権なども与えられていない。しかし、それらはすべて奪われたのである。われわれに労働者であってもらいたくない一部の勢力が、われわれを、状態としては労働者のなかにおきながら、その固有の権利だけは憲法が保障したにもかかわらずわれわれから奪っている。古い時代の存続のためには、或いは、「教師は労働者である」という自覚が邪魔になるのかもしれない。それだからこそ、その自覚をふるい起さないかぎり、清潔な新しい時代は来ないともいえよう。しかし奪われたものはとり返すことができる。われわれを誰がなんと名づけてもよい。どんなにしてもわれわれの置かれている状態は変るはずはないではないか。 われわれは、依然として、学校を職場として働く「賃金労働者」であり、大いに歴史的課題をになった「働く階級」に属しているのである。一説には、「なるほど教師も労働者には違いないが、一面その他の労働者と違ったところがあるはずだ」というのである。そして「聖職」や「師表」や「先生」の観念をかつぎ出す。「その他の労働者と違うところがある」ということばだけなら異論はない。むしろそれは当然である。労働階級は、その階級全体として重要な歴史的課題をになっているけれども、その具体的なしごとの役割は一定ではない。炭鉱労働者にはそれなりの日常的な任務があるであろうし、教育労働者にもまた、その労働者とは違った「日常的な機能」を要求されるであろう。それは全く当りまえのことだ。そういう具体的なひとつひとつの労働者のしごとをつなぎ合わせて、また、ある場合には全く共同して、はじめて全労働者の歴史的任務が完遂されるのであって、それまでの過程に、誰もが同じことをしなければならぬ道理はない。そういう「違い」は、教師が労働者であるという自覚をすこしも否定していないではないか。にもかかわらず、それを口実として、われわれを労働者の戦列から離そうというのは、つまり「停滞と反動」を好む勢力の策謀だから、われわれは、それをこそ敵としなければならぬ。そういう自覚が、新しい時代を創る教師の倫理なのである。

九 教師は生活権をまもる

教師はこれまで、清貧にあまんずる教育者の名のもとに、自己の生存に必要な最低限の物質的要求さえ、口にすることをはばかってきた。

自己の労働にたいする正当な報酬を要求することは、過去の教師にとっては思いもよらぬことであった。

そこから教育への正しい意欲と情熱は消え失せ、疲労と怠慢と迎合が教師の教育を支配した。

教師は自己の生活権をまもり、生活と活動のための最善の条件をたたかいとることを、自分の権利とし、義務とする。

かって二・一ストのたたかいに教員が加わったときに、ある郡で、どうしてもそのストライキを承知しない教師がいた。理由は、教師が俸給のことで、政府当局を相手にしてたたかうばかりか、教壇まで放棄するのはどうしても耐えがたい。というのであった。その教師は、その時指導的立場におり、彼がストライキを承知しないということによって、その県全体が相当大きい影響を受けねばならないので、教員組合の幹部が入れかわり入れかわり彼を説得した。彼はなかなか了解しなかったが、最後にその一人が、「このストライキは、われわれ自身の給料の問題ではない。われわれは清貧に安んじる心がけはあるのだが、そういっては生命の保障さえもできない労働者もいる。われわれのストライキは、そういう結果をつくった政治に対する抗議であって、教育が聖職だというなら、このストライキも、社会正義を打ちたてる意味からは、充分尊いしごとである」と思うとのべたところ、彼は、「そういう聖化されたストライキなら承知した」といって一般の戦列に加わったということである。この話は、相当思慮分別のある教師のなかにも、いまだに、「自己の生存に必要な物質的要求」を口にすることをはばかる気風のあることを物語っている。「物質的要求」はそのままでは卑俗なことで、これに何かの意味が附与されなければ、教育者として「口にすべきことではない」と思っているようである。 むかし教師は、「任免俸禄はつつしんで受けよ」と教えられ、それを当然の道徳としてふみ行わされてきた。しかし、教師の生活は決して豊かではなかったはずである。そこで、そういうしきたりのなかで、少しでも他にすぐれた経済的条件を得ようとも思ったであろうし、働いても働いても同じことなら、という懈怠の心も起きたことであろう。「疲労と怠慢と迎合がこれまでの教師の生活を支配した」というのは、根本はそういう勤労観に由来しているのであって、いまではそれは封建時代の遺物といわなければならない。いまでも、なんとなく、自分の生活要求についてひかえ目がちであるのは、それは近代的な労働者観や社会観が身についていない証拠であって、そういうためらいからも容易に反動的な考えかたや停滞が忍び寄ってくるともいえるのである。われわれは、「学校を職場として働く賃金労働者」なのであるから、正当な報酬を要求するのにいささかのためらいもあってはならない。われわれが低賃金に甘んずることによって起る弊害よりも、われわれが「生活権をまもる」ために要求してたたかうことによって得る道徳的効果の方がはるかに価値高い。われわれは気高い目標を持ってたたかっており、またこれからもたたかわねばならぬはずであるから、「生活と活動のための最善の条件をかちとること」は、まさしく新しい倫理の一つの部分となるはずである。

十 教師は団結する

教師の歴史的任務は、団結を通じてのみこれを達成することができる。

教師の力は、組織と団結によって発揮され、組織と団結は絶えず教師の活動に勇気と力を与える。しかもこんにち個人としての教師の確立は、団結を通じてかちとる以外に道はない。

教師は教員組合を通じて世界の教師と結合し、全労働者と手をにぎる。

団結こそは教師の最高の倫理である。

いままでのところで、われわれは、われわれが直面している課題や目的について充分に考えてきた。そして、そういう課題や目的を果すために、根本的には、どういう考えかたをしなければならぬかということについても、いろいろな角度から検討してきた。「科学的真理に立って行動する」ことや、「労働者である」という自覚を深めるなどは、われわれの近代的な立場をあらわしている。また「青少年とともに生きる」といのは、はじめにも終りにも貫かれていなければならぬ念願である。そして「平和」や「教育の機会均等」や、「教育の自由」や「正しい政治」や「新しい文化」や、「われわれの生活権」のため雄々しくたたかわねばならない。そのしごとは重大できわめて困難を極めるであろう。しかし、どんな悪条件をおかしても、われわれは任務としてそれをたたかわねばならない。それが、われわれの「天職」とも「聖職」ともいえるものであろう。全国のすべての教師がひとりびとりの任務を自覚することがのぞまれるが、ここでたいせつなことは、それらの教師が固く組織に団結するということである。 孤立は敗北に通ずることはすでに歴史においてそれを学んだ。「団結すれば勝ち、分裂すれば敗れる」ということも有名なことばである。共通の目的を持つものは、その目的のもとに固く団結しなければならぬのは、いまではひろく一般的な常識である。われわれはまず教師として五十余万の団結をかちとる。そして、同じ歴史的課題の前に立たされているという理由から、日本の労働者と団結する。また社会の進歩を教育によって成就させようという共通の念頭から、全世界の教師諸君ともていけいしなければならない。過般、マルタの世界教育者会議に代表を送ったのも、アメリカ教員組合と情報を交換するのも、イギリスの教員組合と経験を分ち合うのも、すべてその必要にもとづいている。世界に働くものの幸福をゆきわたらせ、平和な労働者の時代をつくるために、全世界の全労働者とも力を合わさねばならない。国際自由労連にわれわれがすすんで参加したのはその意味にほかならぬ。いまや、団結のための道は、世界に対してもひろく開かれている。 講和条約による自主権の回復は、今後さらに大きくそういう機会をわれわれに与えるであろう。われわれはかくの如く団結し、その力によって平和な世界の到来をはやめなければならない。団結は、こうして、われわれの目的を達する「最良の方法」としてもとめられる。しかし、団結によってわれわれが得るものはそればかりではない。団結は、われわれにとって単に「方法」であるばかりではないからである。われわれは団結を新しい倫理であるといいたい。歴史的課題を果すための、すぐれた道徳であるというべきだと思う。われわれは、デモクラシーの到来とともに団結を知った。それまでは、すべての教師は、共通の目的をもっていながら、実際にはまるでバラバラであった。支配するものは、支配しようとする人民を絶えずそういう状態に置きたがる。人民を「団結させない」ことは、支配を永続させるための秘訣である。そこで、分断された、脈絡のない道徳が要求される。一貫しているものは、それらの人民の道徳が集まり、一個の人間を形成して、従順に支配に服従するという鉄則である。 かつての「臣民の道」や「皇国の道」がそれを教えている。われわれの幸福とは関係なく、むしろその逆であるようなことがらについては、よく団結「させられた」が、われわれの切実な必要とたたかいに対しては、過去の与えられた道徳は、絶えずきまって分裂であった。この支配するものの着想は、現代においても巧妙な手段で一部の勢力に守られている。労働組合の分裂や、革新政党の内部抗争のうらには、いつも、この保守勢力の手がのびている。教員組合といえども決して例外ではない。高等学校組織が分裂したりする影には、なにか純粋でない煽動がみえている。この頃では、教師の生活に職制を強化し、学校種別の間に不自然な差等をもうけ、それで校長勢力をわれわれから分離しようとしたり、職種別教師間の離反をはかろうとする動きが顕著になってきている。われわれは、そういう動きにひそんでいる本源的な悪意に注目しなければならない。 そして、それらの分裂工作にうちかって、高く団結の力を示さなければならない。団結は、そこでは、そういう反動をうちまかす道徳であり、新しい倫理である。それだけではない。われわれは、その団結を通じて、民主的な自己を確立できるはずである。さきに十八世紀的な個人主義は、真に個人の尊厳をまもるものではないとのべたが、ここでもあらためてこのことを強調したい。すべての教師は、個人として自由な存在でなければならないが、しかし、個人ではその自由を自分のものとすることができない。団結して社会体制を改め、改められた働くものを中心とする社会体制のなかで、はじめてよく真の自由な個人であることができるのである。みせかけの自由は、多くの人に貧乏と失業を与え、一部のものに法外な享楽と権力をほしいままにさせている。このみせかけの自由を、ほんものの自由に転じさせることができるためには、われわれは「方法」としても「目的」としても団結を学ばなければならぬ。課題の解決のために団結してたたかい、たたかいながら団結することによって、はじめて働くものの世界が訪れるのである。そのために、われわれはあえて「団結は最高の倫理である」とのべた。

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Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年07月05日 最終更新:2009年08月30日