マルチニーク島
マルチニーク島の基本情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_america/mtq.html#basic
- 国・地域名(ISO 3166-1による英語名)
- マルチニーク島【Martinique】。
- 首都
- (県庁所在地:フォールドフランス【Fort-de-France】)
- 国旗
- -
- 人種
- ムラート95%、ヨーロッパ系2%、インドシナ系
- 言語
- フランス語(公用語)、クレオール語
- 宗教
- カトリック95%、ヒンズー教、アフリカ伝統宗教
- 通貨
- ユーロ:Euro(EUR)
- 3文字国名コード/2文字国名コード/数字国名コード
- MTQ/MQ/474
- 人口/面積
- 393,000人/1,106平方キロメートル
- 国歌/国花/国鳥
- -
- 漢字による表記
- -
- 時間帯
- UTC -4
- ccTLD
- .MQ
- 国際電話番号
- 596
マルチニーク島のその他情報
- 最終更新
- 2007-04-18T00:00:00+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/country/c_america/mtq.html#other
マルチニーク島の地形
カリブ海に浮かぶ西インド諸島の中のウィンドワード諸島の北部に位置する一島。山がちな火山島で、島の北部にある活火山プレー山(1397m)は1902年に大爆発を起こしてふもとの町を壊滅させた。
マルチニーク島の気候
熱帯海洋性気候で7〜11月が雨季。ハリケーンの襲来を受けることもある。
マルチニーク島の経済
主産業は農業で、サトウキビ、バナナ、バニラなどが栽培され、砂糖やラム酒に加工されて輸出される。漁業資源にも恵まれ、遠洋漁業と魚類加工も行われ始めた。工業では食品加工のほかに、石油製品も生産される。フランス本国からの投資で、観光産業も進めら、重要な産業の1つ。
マルチニーク島の歴史
- 1502年:クリストファー・コロンブスにより発見される。
- 1635年:イギリス人による入植が始まり、続いてフランス人も植民、サトウキビ栽培で発展。
- 1762年:イギリスに占領される。
- 1763年:パリ条約によりフランスはカナダと引き換えに島を確保。
- 1764年:再びイギリスの支配下になる。
- 1848年4月:再びフランス領になる。
- 1902年:プレー山爆発、火砕流で当時の県庁所在地だったサン・ピエールで住民3万人死亡。
- 1946年:フランス海外県となる。
- 2002年:ユーロ流通。
マルチニーク島の文化
- フランスの海外県。
- 「世界で最も美しい場所」とコロンブスが称賛し、彼を魅了したマルティ二ーク島の語源は、島に住んでいたカリブ族の言葉でマディ二ーナ(Madinina:花の島)、またはマティ二ーノ(Matinino:女の島)とされる。
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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年03月05日 最終更新:2007年04月18日