大嘗祭
大嘗祭とは
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- 2009-03-20T15:38:47+09:00
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大嘗祭とは、「おおにえのまつり」と読み、神道における祭祀のひとつ。毎年11月に、天皇が行う収穫祭を新嘗祭(にいなめのまつり)という。その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭祀で、古くは「毎年の大嘗」と称した。当初は通常の新嘗祭と区別されなかったものの、後に即位後初めて一世一度行われる祭として、「毎世の大嘗」「大嘗祭」として重視された。古代にあっては大嘗と新嘗の区別はなく、大宝の頃までは共に大嘗祭といわれ、大嘗祭と新嘗祭が区別されたのは天武天皇の大嘗祭のときとされる。新嘗のことは、古く『日本書紀』神代巻の天稚彦の記事や、『常陸国風土記』の福慈神と筑波神の伝説、『万葉集』の歌などから、一般に広く行われていたことが知られている。古語では「ニヒナヘ」や「ニハナヒ」などと称され、本居宣長は『古事記伝』において「新之饗(にひのあへ)」と述べている。
『延喜四時祭式』は、践祚大嘗祭(せんそおおにえのまつり:天皇即位後一世一度の儀)を大祀、新嘗祭を中祀とし、十一月の下卯日(十一月に卯日が2回ある場合は2回目の卯日、三回ある場合は真中の卯日)に行われた。当年の新穀により調整された御食や御酒を天照大御神に奉るとともに天皇自身も食する、神人共食の祭儀である。天皇が新穀を食すにあたり、諸国の主要な神々(伊勢の神宮と官幣の大198社・304座の神々)に神祗官から幣帛が班たれた。なお、延喜式に定められたもののうち「大祀」とされたのは大嘗祭のみである。
大嘗祭の祝詞
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- 2009-03-20T16:18:34+09:00
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この祝詞は、神祗官が幣帛を班つに際し、参集した諸社の神主や祝部に対して中臣が読み聞かせた、宣命体形式の祝詞である。
大嘗祭
輯侍神主・祝部等諸、聞食登宣、
高天原尓神留坐、皇睦神漏伎・神漏彌命以、天社・國社登敷坐留、皇神等前尓白尓久、今年十一月中卯日尓、天都御食乃長御食能遠御食登、皇御孫命乃大嘗聞食牟爲故尓、皇神等相宇豆乃比奉氐、堅磐尓常磐尓齋比奉利、茂御世尓幸閉奉牟尓依氐志、千秋五百秋尓平久安久聞食氐、豐明尓明坐牟皇御孫命能宇豆乃幣帛乎、明妙・照妙・和妙・荒妙尓備奉氐、朝日豐榮登尓稱辭竟奉久乎、諸聞食登宣、
事別、忌部能弱肩尓太襁取挂氐、持由麻波利仕奉礼留幣帛乎、神主・祝部等請氐、事不落捧持氐奉登宣、
大嘗祭
輯侍はれる神主・祝部等諸、聞き食へと宣ふ、
高天原に神留り坐す、皇睦神漏伎・神漏彌命を以て、天社・國社と敷き坐せる、皇神等の前に白さく、
今年の十一月の中卯日に、天都御食の長御食の遠御食と、皇御孫命の大嘗聞し食さむ爲の故に、
皇神等、相宇豆乃比奉りて、堅磐に常磐に齋ひ奉り、茂御世に幸へ奉らむに依てし、千秋五百秋に平けく安けく聞し食して、
豐の明りに明り坐さむ皇御孫命の宇豆の幣帛を、明妙・照妙・和妙・荒妙に備へ奉りて、朝日の豐榮登に稱辭竟へ奉らくを、諸聞き食へと宣ふ、
事別きて、忌部の弱肩に太襁取挂けて、持由麻波利仕へ奉れる幣帛を、神主・祝部等請はりて、事落ちず捧げ持ちて奉れと宣ふ、
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