帝釈天

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帝釈天とは

最終更新
2007-08-26T00:00:00+09:00
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帝釈天は「たいしゃくてん」と読み、古代インドの武神インドラ【Sakro Devanam Indrah】が起源とされる。釈提桓因(しゃくだいかんいん)とも呼ばれる。梵天とならんで仏法の二大守護神とされ、梵天と一対で祀られることも多く、両者をあわせて「梵釈」と呼ぶこともある。起源とされたインドラは、ヴァジュラ(金剛杵)を武器に凶暴な魔神たちと戦い続けた雷神であるが、仏教に帰依した帝釈天には、そうした性格は部分的にしか引き継がれていない。帝釈天は、四天王やその眷属が住むとされる四天王天がある須弥山の頂上にあたる忉利天(とうりてん)の善見城に住むとされ、そのため四天王を部下のように従えている。そして、四天王やその眷属を下界に送り、報告を受けることが帝釈天の主な務めとされている。このことは、民間信仰の「庚申講」とも結び付き、庚申の本尊は帝釈天とされる。

また、インド神話でのインドラ神が阿修羅(アスラ)と戦い倒したとの伝説に基づき、帝釈天も修羅道の主である阿修羅と自ら戦い、追い払ったと伝えられている。更に、釈迦如来の前世の伝説をまとめたとされる『本生譚』にもしばしば登場する。

帝釈天は主に二種類の姿であらわされ、1つは唐代の衣装を着た貴人風の二臂像で、手に金剛杵や蓮茎などを持つことが多く、頭には宝髻を結う。この場合、梵天像と帝釈天像はほとんど同じ姿に表現されて見分けのつかない場合もあるが、帝釈天像のみが衣の下に皮製の甲を着ける。もう1つは密教における帝釈天像で、一面三目二臂で冠を戴き、身体には甲冑を着け、手には独鈷杵を執る。また、白象にまたがった姿でも表現される。

庚申の日は帝釈天の縁日

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年08月26日 最終更新:2007年08月26日