ゲベール銃

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ゲベール銃とは

最終更新
2009-09-23T18:34:44+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/thought/culture/geweer.html#what

ゲベール銃【Gewehr Gun】とは、幕末期に用いられた洋式小銃のことを指す。オランダ語で【geweer】は「小銃」を指す。口径は18ミリ前後、全長1.5m前後、重量4kg程で、射程は100〜300mである。前装式(先込め)で滑腔銃身の洋式銃を指してゲベール銃と呼ぶことが一般的だが、広義には洋式軍用銃全般を指してゲベール銃ともいわれた。炸薬を銃口から入れ、細長い鉄棒(朔丈)をさし入れて十分に銃尾を固定させ、その後にまるい弾をころがしこんで装填とする。発火装置が燧石式などになっており、引き金をひくと現今のライターのように火花を発し、それで銃尾の火薬が爆発して弾がとぶ仕組み。従来から日本にあった火縄銃とは、下記の点で異なる。

元々は1670年代にフランスで開発され、1777年にオランダが正式採用し、当時ヨーロッパ各国の主力銃であった。日本には幕末に伝わったとされ、天保2(1832)年に砲術家の高島秋帆がオランダから輸入したのが最初だと考えられている。従来の火縄式では火縄を使って火薬に着火していたが、ゲベール銃は火打石を使って着火する仕組みであるため、弾薬を装填して常に発射できる状態にでき、火縄式より有利だと考えられた。

その後、文久元(1861)年頃には、雷管と呼ばれる、衝撃で点火する火薬をつめた小型の管が発明されたことにより、ゲベール銃は雷管式に改良され、雨天でも使える画期的な銃として日本にも大量に輸入されたといわれる。しかし、弾薬や弾丸は旧来と変わらず装填に時間が掛かる上に、弾丸は球形鉛弾で、しかも銃身の内径にライフルがないため、弾丸の直進性が悪く命中精度が著しく低かった。また、照尺がなく、火縄銃より着火時の衝撃が大きく、更には造りがいい加減な物も多かったため、国産の火縄銃よりも命中率が低くかったといわれている。しかし、火縄銃と同様に構造が簡単であり、火縄銃とは発火装置が異なる程度であったため、やがて国内各地で模造され、薩摩や長州、幕府軍などに広く使用された。

この頃、既に欧米では、随時ライフリングが刻まれてミニエー銃に改修されていったが、日本ではほとんど改修されなかった。更に、旧式化して世界的に余っていたために、幕末の後半から大幅に値崩れを起こし、欧米でのいわば不良在庫を日本の各藩(特に東北諸藩)に高値で売りつける商人も出てきた。諸藩の役人には兵器知識がないものも多く、「洋式銃」というだけで満足していたと思われる。第二次長州征伐時は一挺5両、戊辰戦争時は一挺1〜2両にまで下ったといわれている。鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍の主力銃として使われ、桑名・大垣等諸藩が装備していたが、弾丸の大きさが銃によって違い、銃にあわせて弾丸を揃えなければならなかったといわれている。薩摩、長州藩では、早い段階から新式のミニエー銃などを採用。幕府軍も第二次長州征討以降は積極的に施条銃を導入し、歩兵隊に支給した。そのため、戊辰戦争の時代にはゲベールは時代遅れの銃となっていた。

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Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年09月22日 最終更新:2009年09月23日