神輿

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神輿とは

最終更新
2008-01-14T17:01:32+09:00
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神輿は「みこし」と読み、日本の神社の祭の際に、神霊が御旅所などへ渡御するに当って一時的に鎮まるとされる輿である。通常は担ぎ上げて移動するものを指すが、それを台車に乗せてひくものなど別形態のものを指すこともある。祭になると神霊を神輿に乗せ、氏子の住む地域を巡行したため、氏子たちはわざわざ神社に出向かずとも自宅近くで神詣ができた。本来は神霊を担いで静かに回るのが習わしで、神社によっては担ぎ手の神官たちの息が神輿にかからないようにと口に紙を咥えて担いだと伝えられている。ところが江戸時代になると各地に様々な神輿の担ぎ方が生れ、神輿を揺さぶったり神輿同士をぶつけたり、海や川へ投げ入れるといった神霊も開いた口が塞がらない風習が定着していくこととなる。これらは「日吉型渡御祭」と呼ばれ、神輿を激しく振り動かすことによって神の霊威を高め(魂振り)、豊作や大漁を願うとされる。

形状は、小ぶりな神殿をかたどったものが多い。その他に、神木(諏訪大社)や人の性器(田縣神社)をかたどったもの、人形を置いたものなどもある。また、担ぐための棒が付いているのは共通するが、前後にだけ付いたもの(ニ点棒)や左右にも付いたもの(四点棒)があり、本数もその地区により異なる。本来は氏子のみによって担がれるものであるが、担ぎ手の不足などにより都市部を中心に氏子以外の人も神輿担ぎに参加できるようになっているものが増えている。担ぐ時の掛け声は「わっしょい」や「エッサ」、「ソイヤ」などと言うところが多い。それぞれの語源については諸説があり、「和上同慶」「和を背負う」「和と一緒」「輪を背負う」という意味からきているという説や、「エッサ」は古代ヘブライ語(古代ヘブライ語で「エッサ」とは「運ぶ」との意味)から来ているという説、又は単なる「えっさほいさ」といった掛け声であるとの説など様々である。

神輿は、狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた収穫祭の祭壇が起源とされ、このときは祭りが終ると神輿は取り壊され、毎年新たな神輿を作って天上の神を招いていた。農耕が始り人々が定住するようになると、神に対しても定住が求められるようになり、居所としての神社が誕生した。そして神の乗り物として神輿が継承され、現在のような形になったといわれている。その他にも神輿の起源については諸説あるが、この説を採用した観光協会等において、外国人に対し神輿を【Portable Shrine】(持ち運び可能な神社)との説明がなされるようになり、【Mikoshi】の英訳として一般化するに至っている。

文献での書出は、奈良時代に九州で起こった「隼人の乱」にあるという。九州南部の大隈・日向に住む隼人族は、大隈国守を殺害してクーデターを起こした。朝廷は大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、一万を超す軍隊を派兵。この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、国家鎮護と隼人討伐を祈願した。当時は、現在の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神は、この願いに応じ、自ら神軍を率いて隼人討伐に赴くと託宣を下した。朝廷は豊前国司宇努首男人に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、「豊前国司に仰せつけられ、始めて神輿を作らしむ」とある。

神が乗る輿から「神輿」と書かれるが「御輿」と書かれる場合もあり、これは「輿」に丁寧語の「御」を付けたものである。通常はさらに「御」をつけて「おみこし」と呼ばれる。「こし(輿)」の語源は、「越し」の意味と考えられている。元々「輿」は貴人の乗り物を指したが、平安時代中期頃から怨霊信仰が盛んになり、神霊を運ぶ物として「みこし」が使われるようになったとされる。

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Copyright (C) 2008 七鍵 key@do.ai 初版:2008年01月14日 最終更新:2008年01月14日