龍田風神祭

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龍田風神祭とは

最終更新
2009-02-14T15:39:38+09:00
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龍田風神祭とは、「たつたかぜのかみのまつり」と読み、奈良県生駒郡三郷町にある龍田大社の例祭である。「延喜式四時祭式」上(『延喜式』巻第一)の四月祭条に、大忌祭に続けて「風神祭二座 龍田社、七月准此、」と記されているように、秋の穀物の豊穣のために風雨の順調を祈って4月と7月の年二回行われた祭祀である。古代において、龍田の地は大和盆地に吹き込む西風の吹きだし口と考えられたことから、龍田神社でこの祭が行われるようになったものと考えられている。「養老神祗令」が、この祭を孟夏(四月)・孟秋(七月)に廣瀬大忌祭と並べ記しているように、古来は同日(それぞれの4日)に行われていた。「延喜四時祭式」によれば、本祭は小祀とされ、祭日である4月と7月の四日には祭使として五位以上の王(皇族)と臣が派遣された。

「延喜神名式」(『延喜式』巻第九、「延喜式神名帳」)には、大和国平群郡条に「龍田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大、月次新嘗、」と記載され、古くは龍田神社と呼ばれ、名神大社に列した。「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祗を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたのが起源とされている。国史では、天武天皇4(675)年4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見である。嘉祥3(850)年に従五位上を叙せられたのを初めとし、貞観元(859)年には従三位となる。永保元(1081)年には二十二社の一つに数えられた。近代社格制度のもと、明治4(1871)年に龍田神社として官幣大社に列した。摂社に、龍田比古龍田比売神社がある。

龍田風神祭の祝詞

最終更新
2009-02-14T19:17:07+09:00
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龍田神社に参向した勅使が、祭祀を営む趣を龍田神社の神主・祝部等に読み聞かせる宣命体形式の祝詞であり、直接祭神に奏上する祝詞ではない。

龍田風神祭

龍田稱辭竟奉皇神、志貴嶋大八嶋國知皇御孫命、遠御膳長御膳、赤丹聞食五穀物、天下公民作物、草片葉不成、一年二年不在、歳眞尼傷故、 百物知人等卜事御心者、此神負賜、此物知人等卜事、出御心聞看、 皇御孫命詔、神等、天社・國社忘事無遺事無、稱辭竟奉、誰神、天下公民作作物、不成傷神等、我御心悟奉宇氣比賜、 是以皇御孫命大御夢悟奉、天下公民作作物、悪風・荒水、不成傷、我御名者天御柱命・國御柱、御名者悟奉、吾前幣帛者、御服者明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈、御馬御鞍具、品品幣帛備、吾宮者朝日日向處、夕日日隠處龍田立野小野、吾宮定奉、吾前稱辭竟奉者、 天下公民作作物者、五穀、草片葉、成幸悟奉、是以皇神辭教悟奉處、宮柱定奉、此皇神稱辭竟奉、皇御孫命宇豆幣帛令捧持、王・臣等爲使、稱辭竟奉、皇神白賜事、神主・祝部等諸聞食宣、

奉宇豆幣帛者、比古神御服明妙・照妙・和妙・荒妙、五色物、楯・戈、御馬御鞍具、品品幣帛獻、比賣神、御服備、金麻笥・金栭・金挊、明妙・照妙・和妙・荒妙・五色物、御馬御鞍具、雜幣帛奉、御酒者瓺閉高知、瓺腹滿雙、和稲・荒稲、山住物者、毛和物、毛荒物、大野原生物者、甘菜・辛菜、青海原住物者、鰭廣物・鰭狭物、奧都藻菜・邊都藻菜、如横山打積置、奉此宇豆幣帛、安幣帛足幣帛、皇神御心聞食、 天下公民作作物、悪風・荒水不相賜、皇神成幸賜者、初穂者瓺閉高知、瓺腹滿雙、汁、八百稲・千稲引居置、秋祭、王・卿等・百官人等、倭國六縣刀禰・男女、今年四月――七月者云今年七月、――諸參輯、皇神宇事物頚根築拔、今日朝日豐榮登、稱辭竟奉皇御孫命宇豆幣帛、神主・祝部等被賜、惰事無奉宣命、諸聞食宣、

龍田風神祭

龍田たつた稱辭竟たたへごとをまつ皇神すめがみまへまをさく、志貴嶋しきしま大八嶋おほやしまぐにしらしし皇御孫命すめみまのみことの、遠御膳とほみけ長御膳ながみけと、赤丹あかにきこ五穀物いつくさののたなつものはじめて、 天下あめのした公民おほみたからつくものを、くさ片葉かきはいたるまでさず、一年ひととせ二年ふたとせらず、とし眞尼まねそこなくふがゆゑに、もも物知人ものしりびとども卜事うらごとでむかみ御心みこころは、 かみまをせとおはたまひき、物知人ものしりびとども卜事うらごともちうらへども、づるかみ御心みこころしとまをすときこして、 皇御孫命すめみまのみことりたまはく、かみたちをば、天社あまつやしろ國社くにつやしろわするる事無ことなく、つる事無ことなく、稱辭竟たたへごとをまつるとおもほしおこなはすを、いづれかみぞ、天下あめのした公民おほみたからつくりとつくものを、 さずそこなかみたちは、御心みこころぞとさとまつれと宇氣比うけひたまひき、ここ皇御孫命すめみまのみこと大御夢おほみいめさとまつらく、天下あめのした公民おほみたからつくりとつくものを、 しきかぜあらみづはせつつ、さずそこなふは、御名みな天乃御柱乃命あめのみはしらのみこと國乃御柱乃命くにのみはしらのみことと、御名みなさとまつりて、まへたてまつらむ幣帛みてぐらは、 御服みそ明妙あかるたへ照妙てるたへ和妙にぎたへ荒妙あらたへ五色物いついろのものたてほこ御馬みうま御鞍具みくらそなへて、品品くさぐさ幣帛みてぐらそなへて、みや朝日あさひ日向ひむかところ夕日ゆふひ日隠ひかげところ龍田たつた立野たちの小野をのに、みやさだまつりて、まへ稱辭竟たたへごとをまつらば、天下あめのした公民おほみたからつくりとつくものは、五穀いつくさのたなつものはじめて、 くさ片葉かきはいたるまで、さきはへまつらむとさとまつりき、ここ皇神すめがみ辭教ことをしさとまつりしところに、宮柱みやばしらさだまつりて、 皇神すめがみまへ稱辭竟たたへごとをまつるに、皇御孫すめみまのみこと宇豆うづ幣帛みてぐらささたしめて、おほきみたちまへつぎみたち使つかひて、稱辭竟たたへごとをまつらくと、皇神すめがみまへまをたまことを、 神主かむぬし祝部等はふりべどももろもろたまへとのたまふ、

たてまつ宇豆うづ幣帛みてぐらは、比古神ひこがみに、御服みそ明妙あかるたへ照妙てるたへ和妙にぎたへ荒妙あらたへ五色物いついろのものたてほこ御馬みうま御鞍具みくらそなへて、品品くさぐさ幣帛みてぐらたてまつり、 比賣神ひめがみに、御服備みそそなへ、こがね麻笥をけこがねたたりこがねかせひ明妙あかるたへ照妙てるたへ和妙にぎたへ荒妙あらたへ五色物いついろのもの御馬みうま御鞍具みくらそなへて、 くさぐさ幣帛みてぐらたてまつりて、御酒みきみかたかり、みかはら滿ならべて、和稲にごしね荒稲あらしねに、やまものは、 和物にごもの荒物あらもの大野原おほのはらふるものは、甘菜あまな辛菜からな青海原あをうなばらものは、はた廣物ひろものはた狭物さもの奧都おきつ藻菜もは邊都へつ藻菜もはいたるまでに、 横山よこやまごとうちきて、たてまつ宇豆うづ幣帛みてぐらを、安幣帛やすみてぐら足幣帛たるみてぐらと、皇神すめがみ御心みこころたひらけく聞食きこしめして、天下あめのした公民おほみたからつくりとつくものを、 しきかぜあらみづはせたまはず、皇神すめがみさきはたまはば、初穂はつほは、みかたかり、みかはら滿ならべて、 しるにもかひにも、八百やほしね千稲ちしね引居ひきすきて、秋祭あきのまつりに、たてまつらむと、おほきみたちまへつぎみたち百官もものつかさ人等ひとどもやまとのくに六縣むつのあがた刀禰とね男女をとこをみないたるまでに、 今年ことし四月うづき――七月ふみづきには今年ことし七月ふみづきへ、――もろもろまゐうごなはりて、皇神すめがみまへ事物じもの頚根うなねきて、 今日けふ朝日あさひ豐榮登とよさかのぼりに、稱辭竟たたへごとをまつる、皇御孫命すめみまのみこと宇豆うづ幣帛みてぐらを、神主かむぬし祝部はふりべどもたまはりて、おこた事無ことなたてまつれとりたまふおほみことを、もろもろたまへとのたまふ、

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Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年02月14日 最終更新:2009年02月14日