大殿祭
大殿祭とは
- 最終更新
- 2009-02-15T14:48:48+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/ootono_hogai.html#what
大殿祭とは、「おおとのほがい」と読み、神道における祭礼のひとつ。斎部氏が屋船久久遅命・屋船豊受姫命・大宮売命の三神を祀って、皇御孫命の住居である宮殿の平安を願い、大御身の平安と御世の繁栄を希求する祭りである。通常、新嘗祭・神今食(6月・12月のそれぞれ11日)の翌日早朝に行われるが、皇居の遷移や大嘗祭、斎宮・斎院の卜定の後などに臨時で行われることもある。起源については、『古語拾遺』に、斎部氏の祖太玉命が斎斧をもって材料を伐採し、手置帆負命・彦狭知命と瑞殿を造営したことなどが記録されている。祭儀の内容について、「延喜四時祭式」上(『延喜式』巻第一)によれば、祭場となる御殿の四隅に玉を懸け、御巫が米・酒・切木綿を殿内四角に散き、忌部が巽に向い微声で祝詞を奏し、次いで湯殿・厠殿・御厨子所・紫宸殿の四角に玉を懸け、御巫が米・酒を散いた。更に、御巫が承明門に進んで米・酒などを散く「御門祭」は、大殿祭に付属した祭りである。
大殿祭の祝詞
- 最終更新
- 2009-02-15T17:06:46+09:00
- この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/ootono_hogai.html#source
宮殿に災変なく平安であることを祈願する祭りの祝詞。奏仕者の斎部(忌部)氏が、祀服に身を正して微声で奏する形式の祝詞である。
大殿祭
高天原尓神留坐須、皇親神魯企・神魯美之命以氐、皇御孫之命乎天津高御座尓坐氐、天津璽乃剣・鏡乎捧持賜天、言寿――古語云許止保企、言寿詞如寿觴之詞、――宣志久、皇我宇都御子皇御孫之命、此乃天津高御座尓坐氐、天津日嗣乎萬千秋乃長秋尓、大八洲豐葦原瑞穂之國乎を、安國止平氣久處知食止、――古語云、志呂志女須、――言寄奉賜比氐、
以天津御量氐、事問之磐根・木乃立知・草能可岐葉乎毛言止氐、天降利賜比志食國天下登、天津日嗣處知食須皇御孫之命乃御殿乎、今奧山乃大峡・小峡尓立留木乎、齋部能齋斧乎以氐伐採氐、本末乎波山神尓祭氐、中間乎持出來氐、齋鋤乎以氐齋柱立氐、
皇御孫之命乃天之御翳・日之御翳止、造奉仕礼留瑞之御殿、――古語云阿良可、――汝屋船命尓、天津奇護言――古語云久須志伊波比許登、――乎以氐、言寿鎮白久、此乃敷坐大宮地底津磐根乃極美、下津綱根――古語番縄之類、謂之網根、――、波府虫能禍無、高天原波、青雲乃靄久極美、天乃血埀・飛鳥乃禍無、掘堅多留柱・桁・梁・戸・牖乃錯比――古語云伎加比、――動鳴事無久、引結幣留葛目能緩比、取葺計留草乃噪岐――古語云蘇蘇岐、――無久、
御床都比能佐夜伎、夜女能伊須須伎、伊豆都志伎事無久、平氣久安氣久奉護留神御名乎白久、屋船久久遅命――是木霊也、――・屋船豐宇氣姫命登、――是稲霊也、俗詞宇賀能美多麻、今世産屋以辟木・束稲、置於戸邊、乃以米散屋中之類也、――御名乎波奉稱利氐、皇御孫命乃御世乎堅磐常磐尓奉護利、五十橿御世乃足良志御世尓、田永能御世止奉福尓依氐、
齋玉作等我、持齋波利、持浄麻波利、造仕奉礼留瑞八尺瓊能御吹支乃五百都御統乃玉尓、明和幣――古語云爾伎氐、――・曜和幣乎附氣氐、齋部宿禰某我弱肩尓太襁取懸氐、言寿伎鎮奉事能漏落武事乎波、神直日命・大直日命、聞直志見直志氐、平良氣久安良氣久處知食尓白、
詞別白久、大宮賣命登御名乎申事波、皇御孫命乃同殿能裏尓塞坐氐、參入罷出人能選比處知志、神等能伊須呂許比阿礼比坐乎、言直志和志――古語云夜波志、――坐氐、皇御孫命朝乃御膳・夕乃御膳供奉流、比礼懸伴緒・襁懸伴緒乎、手躓・足躓――古語云麻我比、――不令爲氐、
親王・諸王・諸臣・百官人等乎、己乖乖不令在、邪意・穢心無久、宮進進米、宮勤勤之米氐、咎・過在乎波、見直志聞直坐氐、平良氣久安良氣久令仕奉坐尓依氐、大宮賣命止御名乎、稱辭竟奉久登白、
大殿祭
高天原に神留まり坐す皇親神魯企・神魯美の命以て、皇御孫之命を天津高御座に坐せて、天津璽の剣・鏡を捧げ持ち賜ひて、言寿ぎ――古語に古止保企と云ふ、寿詞と言ふは今の寿觴の詞の如し、――宣たまひしく、
皇我が宇都の御子皇御孫之命、此の天津高御座に坐して、天津日嗣を萬千秋の長秋に、大八洲豐葦原瑞穂之國を安國と平けく知し食せと、――古語に志呂志女須と云ふ、――
言寄さし奉り賜ひて、天津御量以て、事問ひし磐根・木の立ち・草の可岐葉をも言止めて、天降り賜ひし食國天下と、
天津日嗣知し食す皇御孫之命の御殿を、今奧山の大峡・小峡に立てる木を、齋部の齋斧を以て伐り採りて、
本末をば山の神に祭りて、中間を持ち出で來て、齋鋤を以て齋柱立てて、皇御孫之命の天之御翳・日之御翳と、造り仕へ奉れる瑞之御殿、――古語に阿良加と云ふ、――
汝屋船命に、天津奇護言を――古語に久須志伊波比許登と云ふ、――以て、言寿ぎ鎮め白さく、此の敷き坐す大宮地の底津磐根の極み、
下津綱根――古語に番縄の類、之を綱根と謂ふ、――波府虫の禍無く、高天原は、青雲の靄く極み、天の血埀・飛鳥の禍無く、
掘り堅めたる柱・桁・梁・戸・牖の錯ひ――古語に伎加比と云ふ、――動き鳴る事無く、引結べる葛目の緩び、
取葺ける草の噪ぎ――古語に蘇蘇岐と云ふ、――無く、御床都比の佐夜伎、夜女の伊須須伎、伊豆都志き事無く、平けく安けく護り奉る神の御名を白さく、
屋船久久遅命――是は木の霊にます、――・屋船豐宇氣姫命と、――是は稲の霊にます、俗の詞、宇賀能美多麻、今の世、産屋に辟木・束稲を以て戸の邊りに置き、乃ち米を以て屋の中に散く類なり、――
御名をば稱へ奉りて、皇御孫命の御世を堅磐に常磐に護り奉り、五十橿御世の足らし御世に、田永の御世と福へ奉るに依りて、齋玉作等が、持齋まはり、
持浄まはり、造り仕へ奉れる瑞の八尺瓊の御吹きの五百都御統の玉に、明和幣――古語に爾伎氐と云ふ、――・曜和幣を附けて、
齋部宿禰某が弱肩に太襁取り懸けて、言寿ぎ鎮め奉る事の漏れ落ちむ事をば、神直日命・大直日命、聞き直し見直して、平けく安けく知し食せと白す、
詞別きて白さく、大宮賣命と御名を申す事は、皇御孫命の同じ殿の裏に塞り坐して、參入り罷出る人の選び知し、神等の伊須呂許比阿礼比坐すを、
言直し和し――古語に夜波志と云ふ、――坐して、皇御孫命の朝の御膳・夕の御膳に供へ奉る、比礼懸くる伴緒・襁懸くる伴緒を、手の躓・足の躓――古語に麻我比と云ふ、――爲さしめずて、
親王・諸王・諸臣・百官人等を、己が乖乖在らしめず、邪意・穢心無く、宮進めに進め、宮勤めに勤めしめて、咎・過在らむをば、
見直し聞き直し坐して、平けく安けく仕へ奉らしめ坐すに依りて、大宮賣命と御名を、稱辭竟へ奉らくと白す、
このページに関するご案内
-
この文書は
Keyから
資料集、
思想、
神道、
祝詞とリンクを辿ると、当ページ
大殿祭に辿り着きます。
- Site mapよりこのサイトの全体的な構造を把握できます。
- 索引よりこのサイト内にある任意のキーワードを含んだ文書を探すことができます。
- この文書のURIは
https://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/ootono_hogai.html
です。
Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年02月15日 最終更新:2009年02月15日