ミニエー銃

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ミニエー銃とは

最終更新
2009-09-23T19:29:40+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/thought/culture/minie.html#what

ミニエー銃【Minie rifle】とは、1849年にフランスのクロード・ミニエー【Claude Etienne Minie】大尉によって開発されたミニエー弾を使用する前装管打式歩兵銃の総称。旧来のゲベール銃に照尺を取り付け、ライフリングを刻んだものである。ミニエー銃の弾丸は椎実型で、周囲には溝が刻まれて凹凸があり、この凹部にグリス状の脂を付着させていた。底部はスカート状に窪んでおり、窪みはコルクなどで埋められている。ミニエー銃の弾丸は、銃身の内径より小さい寸法であるため、ヤーゲル銃のように銃口から弾丸を押し込む際の労力が少い。着火されると、発射時の圧力で弾丸の後部のコルクが膨張し、弾丸周囲の凸部は銃身内のライフルに食い込みながら密着し、弾丸は右回転しながら飛ぶ。このため、射程距離が伸び、命中率が高められた。オランダ製は口径16mm、アメリカ製は口径14.5mm、全長は約1.4m、重量は約4kg、射程距離は600〜700m。

フランスでは、1851年からアルジェリアに駐屯するアフリカ連隊に支給された。日本では、長州藩などが最も一般的な「洋式銃」として流布した。薩摩藩は、薩英戦争後の軍政改革で、ミニエー銃を一万挺購入したといわれている。江戸幕府は元治元(1864年)年にオランダ歩兵操典を正式教範とし、1861年式オランダ製ミニエー銃を採用した。その際、エンフィールド銃も同時に配備している。第二次長州征伐時期の慶応元(1865)年、長州藩が薩摩藩の名義でグラバー商会から買い入れた小銃は、ミニエー銃4300挺、ゲベール銃3000挺で、この時ミニエーは一挺18両、ゲベール銃は一挺5両だったとされる。戊辰戦争はアメリカで南北戦争が終結した直後であったため、アメリカから約5万挺ものエンフィールド銃が輸入され、会津藩以下佐幕派諸藩も制式小銃として採用して使用した。明治元(1868)年には一挺9両。会津・箱館戦争時期には、さらに新式の銃が最新となっていった。箱館戦争では、新政府軍の主力はエンフィールド銃であり、スナイドル銃と連発式のスペンサー銃は全軍の5%にも満たなかった。箱館政府軍が武装解除した際には、エンフィールド銃1,600挺とスナイドル銃107挺が引き渡されている。

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Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年09月22日 最終更新:2009年09月23日