第7番札所 光明山十楽寺

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光明山十楽寺 - 四国霊場八十八箇所資料集での納経帳への朱印

光明山十楽寺の基本情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/shikoku88/s07_zyuurakuzi.html#basic
正式名称と通称
光明山蓮華院 十楽寺(こうみょうざん じゅうらくじ)/通称:-
本尊と宗派、開基
阿弥陀如来 / 高野山真言宗 / 弘法大師
真言
オン アミリタ テイゼイ カラウン
御姿
光明山十楽寺 - 四国霊場八十八箇所資料集の御姿 本尊のカラーイメージ
御詠歌
唱え奉る 四国霊場 第7番 光明山 十楽寺 の御詠歌に
人間の八苦を早く 離れなば 至らん方は九品十楽(にんげんの はっくをはやく はなれなば いたらんかたは くぼんじゅうらく)
所在地と電話番号
〒771-1509:徳島県阿波市高尾法教田58(088-695-2150)
前札所と次札所
前札所:第6番札所 安楽寺(1.2km)/次札所:第8番札所 熊谷寺(4.2km)
交通と駐車場
徒歩:安楽寺→熊野神社→十楽寺
(JRバス山手線3分)6番札所前→7番札所、下車後徒歩(200m)
JR高徳線板東駅下車。鍛冶屋原行きバス15分(鍛冶屋原下車)。徒歩30分
駐車場:無料(30台:境内まですぐ)
宿泊
宿坊150人(3800円)、要予約

光明山十楽寺のその他情報

最終更新
2007-05-21T00:00:00+09:00
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歴史と謂れ

この地に留錫した弘法大師が阿弥陀如来を感得し、感得の尊像の姿を樟で刻み安置したのが寺の始まりとされる。人間のもつ8つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、10の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。当時は現在地から3キロほど離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火で全て焼失された。このときの住職、真然は本尊を背負って大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。寛永12年に現在地に再建され、天保年間にさらに増営され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。

堂塔

朱色の鮮やかな中国風の鐘楼門を入ると正面に水子地蔵尊が祀られており、その横の石段をさらに上がり中門から境内に入る。正面には本堂、右手に客殿と方丈、大師堂は本堂左手の石段を上った所にある。

鐘楼門
十楽寺の鐘楼門
山門
十楽寺の山門
本堂
大師堂
本尊
樟で刻まれたご本尊は、阿弥陀如来が極楽浄土で瞑想にふける姿。

地蔵尊

本堂左手に、眼病や失明に霊験があると伝えられる地蔵尊が祀られており、人々に光明をもたらすと伝えられる。巡礼中に眼が見えるようになったという言い伝えも残り、昔から盲目に霊験ある寺として知られる。

水子地蔵

水子地蔵

鐘楼門を入ると登り坂に沿って約80体の水子地蔵が並んで祀られている。

その他

不動明王

行事

-

その他の情報

寺宝に、真田幸村の茶釜がある。また、太平洋戦争で特攻で散華した海軍飛行予備学生十三期生の慰霊と長久の平和を願って建立された巨大石仏、十三不動明王が祀られている。

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Copyright (C) 2007 七鍵 key@do.ai 初版:2007年05月21日 最終更新:2007年05月21日