広告
広告
https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awa2.html#basic
国名(よみ / 旧かな) | 阿波国(あわのくに / あはのくに) |
---|---|
別名 | 阿州(あしゅう / あしう) |
延喜式の時代の等級 | 上国、中国 |
国府の所在地と現在地 | 名東郡(なひむかし) / 徳島県徳島市国府町府中 |
総社 | 国府八幡大明神宮(徳島県徳島市国府町観音寺) |
推定人口 | 459,244人(1834年) |
名物や名産品など | 阿波藍、阿波刻、阿波茶、鳴門若布、大蛤、鮑、鳴門鯛、阿波三盆、味噌、祖谷そば |
代表的な妖怪 | 夜行さん、阿波だぬき |
現在の地名 | 徳島県 |
https://www.7key.jp/data/geography/ryoseikoku/awa2.html#other
古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地であったため、「粟国(あわのくに)」、南の地域は「長国(ながのくに)」と呼ばれていたが、大化の改新の後に粟国に統一された。和銅6(713)年、元明天皇の命によって、地名を二字で表記するようになったため、「粟」が「阿波」に変更されたと考えられている。
平家の滅亡後、阿波の守護職は源氏の重臣佐々木氏、信濃の小笠原氏が鎌倉幕府から任じられ、室町時代には三管領家の一つである細川氏が支配することになる。その後、細川氏の被官であった三好長慶が実権を奪い、三好氏は京都にも進出するなど権勢を誇ることとなる。その後、織田信長が三好義継を滅ぼすと、三好一族である三好長治が阿波を統治することになる。しかし、長治は阿波全土の国人や領民に対して法華宗を強要し、支持を失う。その頃、土佐の長宗我部元親が阿波に侵入し、防戦につとめる三好勢を破り、その本拠地の勝瑞城を落とした。長宗我部元親は進撃を続け、1585年には讃岐と伊予も手中にし、四国統一を成し遂げる。
天正13(1585)年、羽柴秀吉の四国平定後は蜂須賀家政が阿波に入国し、名東郡富田荘に徳島城を築いた。慶長5(1600)年、関が原の役が始る前に、家政は家督を嫡子至鎮に譲り、以後蜂須賀家は徳川方に味方して慶長19(1614)年大坂冬の陣、翌年の夏の陣を戦った。蜂須賀家は、その戦功によって阿波一国を与えられ、徳島藩は25万7000石の大藩となり、改易されることなく江戸時代を通じて阿波国徳島藩および富田藩(徳島藩支藩)の藩主として阿波を治めた。
国名 | 延喜式 | 吾妻鏡他 | 郡名考・天保郷帳 | 郡区編成 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
都道府県 | 郡 | 市 | |||||
阿波 | 阿波(あは) | 阿波 | 阿波(あは) | 阿波 | 徳島県 | 阿波郡 | |
板野(いたの) | 板東・板野・板西 | 板野(いたの) | 板野 | 板野郡 | 鳴門市 | ||
名ノ東 | 名東 | 名東(めうとう) | 名東 | 名東郡 | 徳島市 | ||
名ノ西 | 名西 | 名西(めうさい) | 名西 | 名西郡 | |||
勝浦(かつら) | 勝浦 | 勝浦(かつら) | 勝浦 | 勝浦郡 | 小松島市 | ||
那賀(なか) | 那東・那西 | 那賀(なか) | 那賀 | 那賀郡 | 阿南市 | ||
海部 | 海部(かいぶ) | 海部 | 海部郡 | ||||
麻殖(をゑ) | 麻殖・麻植 | 麻植(をゑ) | 麻植 | 麻植郡 | |||
美馬(みま) | 美馬 | 美馬(みま) | 美馬 | 美馬郡 | |||
三好(みよし) | 三好 | 三好(みよし) | 三好 | 三好郡 |
四国は、弘法大師が真言宗を広めた地であり、江戸時代を通じて四国八十八箇所の巡礼が盛んに行われ、阿波国内の23か寺の札所にも多数の巡礼者が訪れた。
広告