第33番札所 補陀洛山那古寺

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補陀洛山那古寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b33_nagodera.html#basic
正式名称と通称
補陀洛山 那古寺(ふだらくさん なごでら) 通称:那古観音(千手観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
千手観世音 / 真言宗智山派  / 行基菩薩養老元(717)年
真言
おん ばざら たらま きりく
御詠歌
ふだらくは よそにはあらじ なこのてら きしうつなみを みるにつけても
所在地と電話番号
〒294-0055:千葉県館山市那古1125(0470-27-2444)
位置
緯度:35度1分29.287秒(35.024802)、経度:139度51分36.058秒(139.860016)
納経所
8時〜17時
前札所と次札所
前札所:第32番札所 清水寺 / 次札所:第1番札所 杉本寺
交通と駐車場
最寄駅は、JR 那古船形駅。
駐車場:大型5台、普通車30台
拝観料
-

補陀洛山那古寺のその他情報

最終更新
2010-03-21T18:18:45+09:00
この記事のURI参照
https://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b33_nagodera.html#other

歴史と謂れ

元正天皇は、養老5(721)年の9月に突然の病に臥した。行基が勅命によって千手観音に祈願していると、本尊が壇上に現れ、安房国那古の浦にて日本の補陀落を祈るよう告げた。行基は安房国に向ったが、那古の浦の沖に大船が出現して妙音を奏でるとのことを耳にした。浦で行基が迎請の印を結ぶと、船は浜辺に近づき、中から毘沙門天が現れて香木を行基に与えたという。行基はその木で尊像を刻み、安置したところ、たちどころに天皇の病が平癒したため、勅願によって伽藍を建立したと伝えられている。現在、山上に古屋敷と呼ばれているところがあり、この遺跡だと考えられている。後に、慈覚大師が止住して練行し、さらに正治年間(1199〜1201年)には秀円上人によって真言密教の霊場となった。

源頼朝が帰依して七堂伽藍を建立、また足利尊氏や里見義実も篤く信仰した。特に当山第二十一代の別当は里見義秀であり、二十三代は里見の熊石丸であるなど里見氏との深い関係で寺勢は大いに伸張した。徳川家康の頃には、鶴谷八幡宮の別当を兼ね、末寺十五寺、駕籠側八人衆、280石を領する大寺となった。しかし、元禄16(1703)年の大震災で堂塔が全壊。かつては山上にあったが、幕府は岡本兵衛を奉行とし、宝暦9(1759)年に場所を現在地である中腹に移して再建した。

明治維新の変革では寺領を失ったが、大正11年に一府二県より浄財を募り、本堂の修理が完了したものの、同12年の大震災で半壊。大正13年に信徒の努力で復旧し、現在に至っている。

堂塔

那古寺の仁王門

那古寺の本堂本堂は、朱塗り本瓦葺き。八間の奥行き。那古寺観音堂 附:厨子1基とし、千葉県指定有形文化財。中には、国から重要文化財に指定されている銅造千手観音立像が納められている。像高105cmで、鎌倉時代の作。

那古寺の阿弥陀堂阿弥陀堂には、藤原期の作と伝えられる木造阿弥陀如来の座像が祀られている。木造阿弥陀如来坐像は、千葉県指定有形文化財。

那古寺の多宝塔多宝塔は、宝暦11(1761)年、住僧憲長が伊勢屋甚右衛門らと力を合わせ、万人講を組織勧進して建てたもの。下層四面に切目棟をめぐらせ、和様勾欄を配ている。那古寺多宝塔 附:木造宝塔1基とし、千葉県指定有形文化財。

那古寺の本坊

那古寺の鐘楼

行事

その他の情報

絹本著色僧形八幡神像は、千葉県指定有形文化財。

繍字法華経普門品は、千葉県指定有形文化財。

那古寺の手水屋

那古寺の風景那古寺には和泉式部の供養塚がある。

那古寺の

那古寺の

那古寺の風景

那古寺の風景

那古寺の風景

那古寺の風景

那古寺の風景

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Copyright (C) 2008-2010 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2010年03月21日