第2番札所 海雲山岩殿寺

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海雲山岩殿寺の基本情報

最終更新
2008-12-28T00:00:00+09:00
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http://www.7key.jp/data/fudasyo/bandou33/b02_gandenzi.html#basic
正式名称と通称
海雲山 岩殿寺(かいうんざん がんでんじ) 通称:岩殿観音(十一面観世音菩薩
本尊と宗派、開基と開基年
十一面観世音 / 曹洞宗  / 行基菩薩・徳道上人養老5(721)年
真言
おんまか きゃろにきゃ そわか
御詠歌
たちよりて あまのいはとを おしひらき ほとけをたのむ みこそたのしき
所在地と電話番号
〒249-0001:神奈川県逗子市久木5-7-11(0468-71-2268)
位置
緯度:35度18分16.387秒(35.304552)、経度:139度34分20.485秒(139.572357)
納経所
8時〜17時
前札所と次札所
前札所:第1番札所 杉本寺 / 次札所:第3番札所 安養院
交通と駐車場
最寄駅は、JR横須賀線の逗子駅。徒歩約30分(約1.5km)。
逗子駅からバスで久木東小路下車
駐車場:普通車3台(道が狭いため、大型車は入れず)
拝観料
100円

海雲山岩殿寺のその他情報

最終更新
2009-01-03T22:14:33+09:00
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歴史と謂れ

寺伝によれば、養老5(721)年に大和長谷寺の開基である徳道上人が、この地の岩窟で熊野権現の化身とされる老翁に逢い霊地であることを知り熊野権現を祀ったとされる。その際上人は、近くの村人に「この山は後に大悲の浄刹になるだろう」と言い残して大和の国に帰ったといわれている。数年後には行基が十一面観音の石像を造立して安置したと言われている。このため当寺では、徳道と行基の二人を開山としている。

正暦元(990)年には花山法皇が、承安4(1174)年には後白河法皇が参詣したといわれている。鎌倉時代には、源頼朝によって寺領が寄進されたと伝えられ、『吾妻鏡』には源実朝や御台所、大姫らがしばしば当寺に参詣したことが記されている。これは、源頼朝が文覚上人の勧めによってこの観世音を信仰、治承4(1180)年の石橋山の敗戦で房州洲崎に逃れる際に、観世音が船頭となって無事送り届けたとの話があり、頼朝は生涯守り本尊としたといわれる。江戸時代の『観音霊験記』には、この話が絵図入りで紹介されている。更に『吾妻鏡』には、建久3(1192)年3月23日に源頼朝が三浦介らを従えて参拝、また貞永元(1232)年12月18日には観音堂の修理供養が営まれたとに記されている。

その後衰退するが、天正19(1591)年に徳川家康によって再興(「時移り世衰え、此の寺の何宗旨に属するも知らず、天正十九年辛卯に至り、大将軍家康公、旧証を追て許多の田を寄附し、観音堂の領となし」と当山の縁起にある。)。しかし、明治時代の廃仏毀釈で再び衰退した。

泉鏡花が牛込の芸妓すずと恋に落ち、逗子に滞在していたのは明治35年と37年の夏であり、そのおりこの岩殿寺へ二人は再々足を運んだといわれている。またその後胃腸病で再び逗子の田越に住所を構え、ここの老僧に親近したと伝えられている。後に参詣者の憩いにと鏡花が自ら作り寄進した瓢箪池が観音堂脇にある。山門を入った左手に庫裡があり、この一室で泉鏡花はこの寺を舞台にした小説『春昼』を執筆、門の近くには「普門品 ひねもす雨の 桜かな」の句碑がある。

堂塔

岩殿寺の庫裡茅葺の観音堂は、江戸時代(享保13:1728年)に時の住職萬英和尚が勧進により荒廃した伽藍を再建したもので、造営の大工は鎌倉の蔵並杢之助藤原政吉と工匠清右衛門だったとされる。桁行三間、梁間五間の寄棟造で比較的小規模だが、中世以来の伝統的な密教本堂形式をとりつつ、細部の構造は18世紀前半の特徴をよく反映している。また、逗子市の重要文化財に指定されている(昭和46年12月23日指定)。尚、昭和63年の修理工事により、屋根は茅葺から銅板葺となった。

岩殿寺の庫裡泉鏡花が『春昼』を執筆した庫裡、納経はここで行って頂ける。

岩殿寺の山門

行事

その他の情報

岩窟が自然の社のように見え、山の斜面に建物が建っている。寺号はこれに由来する。

岩殿寺の奥の院観音堂の裏手には奥の院の岩窟があり、最奥部に安置された石造の十一面観音は室町時代の作と推定される。

後白河法王が来山し、ここを坂東三十三霊場の第二番目に定めたと伝えられている。

熊野権現社の奥の岩陰には、蛇の蔵と呼ばれる井戸がある。伝説では、昔この地に住んでいた大蛇を猟師が射止め、骨を井戸に沈めて蛇の霊を祀ったといわれている。また、この井戸は江ノ島の弁天窟に通じているといわれている。

観音堂に至る長い石段の途中にある爪彫地蔵は、弘法大師空海の作と伝えられている。これは、大師が爪で彫ったと伝えられる石の地蔵尊で、つめの病に悩む人が拝むと御利益があるとされる。

岩殿寺の観音堂からの風景観音堂からは、逗子の海岸、三浦半島、房総半島が一望される。これは、逗子八景の1つに数えられている。

泉鏡花は『春昼』の中で「此の山の裾にかけまして、ずっとあの菜種畠の辺、七堂伽藍建て連らなって居りましたそうで」と書いている。

観音堂境内には、熊野権現社、猿田彦神社、稲荷明神社などの諸神仏が祀られている。

岩殿寺の門前参道門前参道には、坂東三十三箇所の御本尊石仏がまつられている。

岩殿寺の幸福観音

岩殿寺の鐘楼

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Copyright (C) 2008-2009 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月28日 最終更新:2009年01月03日