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山岡鉄舟がその著『武士道』で神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎これを名付けて武士道と云ふ。
と著している通り、武士道の源泉は仏教・神道・儒教にあると言えよう。武士達はそれら有名無名の古代の思想から拾い集めた平凡且つ断片的な教訓の束から、武士という個性的な人間像を作り上げ、それを規範としたのである。
仏教は武士道に、運命に対する穏やかな信頼感や静かな服従心、危険や災いに面した際の冷静さ、生の軽視と死に対する親近感をもたらした。そのような感覚は禅を通して武士道に取り入れられることとなる。禅とは、言語による表現範囲を超えた思想の領域へ、瞑想をもって到達しようとする人間の努力を意味し、森羅万象の底に横たわる原理を、更には絶対なるものを悟り、その絶対なるものと自身との調和を図ろうとするものである。
武士道にとって仏教の教えでは足りなかったものを神道がもたらした。主君への忠誠、祖先への敬意、親に対する孝養の教えは神道のみが唱えるところであり、他のいかなる宗教もこれを教えてはいない。神道により、ややもすれば傲慢となりやすい侍の性格に服従の心が授けられた。神道の神学理論にはキリスト教における「原罪」のような感覚がない。逆に人は本来善なるものであり、神のごとく清浄であるとの考えを持つ。そしてその善なる魂そのものを神託の発せられる神聖な場所として崇敬するものである。余談ではあるが、神社に掲げられている礼拝の対象物が多くの場合鏡となっているのはこのことによる。つまり、鏡は人の心を表すものであり、心が完全に穏やかで澄んでいるときは、そこに神の姿が映るとするものである。
武士道における厳格な道徳規範は、その多くを孔子の教えに拠っている。孔子の政治道徳に関する教訓は平穏で温和、且つ世才に長けたものであり、支配階級である武士に相応しいものであった。孔子に次いで孟子も武士道に多大な影響を与えた。孟子の力強く、時には極めて民主的な理論は、思いやりのある武士にしてみればことのほか魅力的だったのだろう。孔子と孟子の書は青少年の主要な教科書であり、また大人達の間の論争の最後の拠り所でもあった。ただし、この2人の賢人による古典をただ知っているだけで、武士は尊敬されるものではなかった。「論語読みの論語知らず」との有名なことわざがあるが、これは儒教を頭の中だけで理解している者を、単なる学問好きで本質を会得していない者として嘲ったものである。つまり、知識が真に知識となるのは、学ぶ者の心にそれが同化され、その人の品性に表れる時にのみと武士達は考えていたのである。単なる知識の専門家は機械と変わらぬと考えられ、知性そのものは道徳的感情の下位に位置づけられた。武士道で知識は、それ自体が目的として求めるべきものとはされず、英知を獲得するための手段として追及すべきとした。
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