2009年10月中旬

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2009年10月19日

nkkyさんへ(2)

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2009-10-20T20:54:53+09:00
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と言ふか餘りに酷い人間が居ても猿とか言つちや駄目です。

ご指摘の通りです、言ひわけのしやうもない。Suckyさん以外の讀者の目をつひ忘れてしまつてゐました。

私が中途半端な事を言ふから七鍵さんの味方だと思はれたんですか。敵味方とか言ひたくないですがSuckyさんや野嵜さんに酷い事を言つたり無視したりするのに比べて態度が違ひ過ぎる。

中途半端だとか味方だのとは思つてゐません、想像もしてゐませんでした。少くとも、トラックバックを初めていたゞいた記事――と私が勘違ひをした記事――を讀み、仰られてゐる言葉に少からず共感を覺えたため、返答といふかたちで言ひわけをしました。Suckyさんには腹が立つたため、野嵜氏とは何囘か會話をした經驗があるため、私の態度は決つてゐます――とは言ひましても自然に採られた態度なのですが。さらに、見識らぬ他人から聲をかけられて、その言葉に不快を感じなければ、その場合に私が採る態度も決ります。特に意識をして使ひ分けてゐるわけではありませんよ。

nkkyさんの仰られるやうに、私の文章に對する批判はいくらでもどうぞ。どうぞどころか、批判を受けることに對し私が良し惡しを判斷するやうなものでもありません、公開した主張は共感も批判も受けるものです――一番拙い主張は、共感も批判も受けない主張だと考へます。當然、私もよく他人の主張には意思表示を行ひます。昨今は書籍にばかり意思表示を行つてゐたため、私の意思表示に返答が返つてくるはずもなく、だからかうしてお喋りをするのが嬉しくて仕方がありません。だからといつて、普段から口でお喋りをしてゐないわけではなく、これはnkkyさんに共感して貰へるだらうか、口での會話と文章での會話はまた違つた魅力があるものなのです。しばらく文章でのお喋りをしてゐなかつたため、つひ見識らぬSuckyさんにも絡んでしまひました――Suckyさんには一番最初にかなり惡い印象を持つたので、今から思へば拙い絡み方だつたのでせう。

まあしかし。共感はいふまでもなく、批判を受けて氣持ちが良い場合もあるものです。nkkyさんのやうに、自身の主張をはつきりとさせる方は、迷惑かも知れませんが、嫌ひではありませんよ。「あれ?」と感じる點も當然あるのですが、全體的に爽やかな印象を持ちました。それは、nkkyさんの態度に誤魔化しを感じてゐないからだと、今の私は結論づけてゐます。

本日の夕飯

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2009-10-20T21:04:16+09:00
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イカの鹽辛をアルミホイルに入れ、醤油をたらして網で燒く。これは美味い。しかも何故か、腹がふくれる。一石二鳥。もう、いまさら、豆腐一丁は食べられないな。

nkkyさんへ(3)

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2009-10-21T00:12:32+09:00
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私は最初から皋さんや野嵜さんと大體同じ意見を書いて來た積もりなのだが。同じ事を言ふ人に違ふ態度を示すのはをかしい。違ふのは、私が「自己批判」してゐる所で、印象も何もそこを七鍵さんが自分と同じ意見を持つてゐると見做したのは明らか。

いゝえ、それが全然違ふ――nkkyさんが明らかと仰つてゐる點――のです。自己批判は、あまり印象に殘つてゐません、申しわけない。私がnkkyさんを「はつきりさせる方」と見做したのは、正義の味方氣取りがしたいとか正義の味方氣取り再び。人は正義に味方しなければならない。との態度です。私も正義の味方氣取りだからこそ、nkkyさんに親近感を持つたのです。自分が正義だと見做すものについてとことんまで説明をする、私はそのやうな態度が大好きです、例へそれが私への批判であつても。正義の味方を氣取りたいから七鍵を批判する、こゝまで仰つていたゞければ、私には何も言ひ返す言葉はありません。これは嫌味でも何でもありませんよ、心からさう思つてゐることです。七鍵さんは返信してくれなくても良い事だがと仰られてゐたので、特に返信をするつもりはありませんでしたが、Suckyさんにさうしたやうに、誤讀は指摘をしておきます。また、私の琴線に觸れる文章があれば、お喋りを試みるかも知れません。

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2009年10月19日

態度(2)

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2009-10-19T22:19:06+09:00
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私はしきりに、「讀解力がない人」とか「獨りよがりな正しさを押し付ける人」とSuckyさんを初期の段階から判斷してゐたのだが、改めてまとめると――殆どの人にはまとめるまでもないのだが、誰にでも判ることである。誰でも、このやうな人と會話を續けたくなどないと感じるだらう。

聲を掛けないことがいゝとは言はない。乘方が拙いこともある。さう云つたことに憤りを感じることもある。だが私は相手に事情があることも考へる。他人のことを考へず、自分の都合だけを考へてゐる生活は樂だらうなと思ふ。

上記のやうに、他人の事情や都合も考へる自分を想像して悦に入つてゐるSuckyさん。さぞご立派な方なのだらう――嫌味――と考へ、私は次のやうに返した。

webに公開してゐる文章なので、必ずしもさうはならないといふことは知つてゐるのですが、わざわざ日記が面白可笑しくないと指摘を受ける經驗は、正直少い。自分がさうだからといふわけではないのですが、不愉快に感じるひとも多いのではないかと思ひますよ。できることであれば、これつきりにしてもらひたいものです。

まあ正直不愉快だつたし、「羨ましい」だとか「樂だらうなと思ふ」とか意味の判らないことばかり言つてくる相手だつたから、心からのお願ひではあつたのだが、それに對し、他人の事情と都合を考へる人間を自称するSuckyさん、こともあらうに以下のやうな返答をしてくる。

長々と書いてゐるが、要は「(七鍵さんにとつて)不愉快な意見や感想は書くな」と言つてゐる(としか讀めない)。ナンセンスなことを仰る。「面白いと感じてくれる人に讀んでほしい*」が「webに公開してゐる文章なので、必ずしもさうはならないといふことは知つてゐるの*」なら、自分の意見に否定的な文書が公開されることも知つてゐるだらう。

「他人が嫌がることをする七鍵は氣にくはないが、俺のやつてゐることは七鍵が嫌がらうが問題ない」との、開いた口を更にこぢ開けられるやうな主張をするSuckyさん。しかも。何も私は「否定するな」とは言つてゐない――それ以降も一切言つてゐないのだが、Suckyさんは私が否定されたことに不滿を表明してゐるやうな論調を押しすすめてゐる――、「面白可笑しくないとわざわざ指摘をしてくるな」とお願ひをしたのである、それをSuckyさんは、七鍵を貶めるためだけにこゝまで話をねぢ曲げたわけだ。ここで、私の中でSuckyさんとの印象は「獨りよがりな正しさを押し付ける人」と決定づけられた。まあさうはいつても仕方がないので――私は正しさを押し付け合ふやり取りに興味がなかつたので、以下のやうに説明した。

ちなみに。前囘書いた「可笑しいと感じる位相が違ふ二人は、」以降の文章は、"他人のことを考へず、自分の都合だけを考へてゐる生活は樂だらうなと思ふ。"と仰られてゐたSuckyさんなら解つていただけるかと思ひ、お願ひをしました。たゞのお願ひですし、意見をいへば否定的な意見を受けることがあることも知つてゐます、氣になさらないでください。Suckyさんがさうするやうに、私もSuckyさんの性格を觀やうとしただけです、いま私はSuckyさんのことを自分本位な人だと觀てゐます。

すると…。

「Suckyさんのことを自分本位な人だと觀て*」もらつても全然構はないが、何故さう觀ることになつたのか教へて欲しい。

これを受けて、當り前だが、私はSuckyさんを「讀解力がない人」と見做して話を打ち切つた。讀解力のある人とであれば、何とかまだ意思疏通はできる。が、こゝまで讀解力がないと話にもならない。念のため、次のやうに叮嚀に會話を打ち切つた――この後もご存知の通り、何だかんだといちやもんをつけてきてゐるのだが。

一通り、讀みました。私のいひたいことは前囘書いてゐます、特に新たに加えることはありません。"どつちだ?"とか"教へて欲しい。"と、會話を求められてゐる部分にだけでも答へようかとも思つたのですが、特に意味――それをSuckyさんに理解してもらはなければならない動機――も見出せなかつたため、申しわけないがそれらも割愛します。

すると、以下の傲慢不遜な、讀解力がない自分の讀者に對してだけにまかり通る勝利宣言。

私の相手をすることに厭きたやう。では最後に七鍵さんに忠告して終りにしよう。

どこまで、このSuckyさんといふ人は傲慢にできあがつてゐるのだらうか。たつたこのやり取りだけを見ても、Suckyさんがどれだけアレな人間か判るだらう。

何度でも言ふが、私は、こゝまで讀解力がなく自分勝手な意見を主張する輩とは話をする氣が起きない、最初から何も本質の部分を説明をしてゐないのである。私には私の事情がありわざと説明をしてゐなかつたのだが、こともあらうに、他人の事情や都合を考へられる人間だと自身を言ひふらして悦に入つてゐるSuckyさん、七鍵の事情など一切おかまひなしに自分勝手な主張を七鍵に對して繰り返す。そもそも前提――自分のことを棚に上げて他人を貶めようとするその態度――が間違つてゐることにSuckyさんだけは氣づかない、どこまで滑稽なのだらう。

念のため、Suckyさんレベルの讀解力の人がこゝの讀者にゐるとは思へないのだが、念のため説明をしておくと、その私のいふ「本質の部分」とは。私は早々に、「まあしかし、話をおもしろおかしくしようと仔細を後囘しに書いたのが拙かつたのかと、多少反省の餘地がないでもない。」と自身にも非があつたことを認めてゐるのである――「羨ましい」だとか「樂だらうなと思ふ」とAでもBでもCでも取れるやうな文章を書くSuckyさんに對し多少言葉に含みを持たせてはゐるが。何もSuckyさんがいふやうに誤魔化さうとも何ともしてゐない、説明済みのことだからあへて繰り返さなかつたのである。「A」とも「B」とも取れる文章を書いてしまつたためにSuckyさんの誤解を招いた、そのことは反省をしてゐる――AでもBでもCでも取れるやうな文章を書くSuckyさんに對し。だからこそ、何かアレだなとか感じつゝも、できるだけ叮嚀に應對をしようとしてゐたのである。それを、こともあらうにこの讀解力がない人間は、次のやうに解釈をした。

どうも七鍵さんは自分の主張が正當だと本氣で考へてゐるらしい。最初は愚痴の類かもと思つたのだが。

こゝまで順をおつて説明をすると、私の忍耐や氣苦勞といふものも改めて理解してもらへるだらう。そのやうな忍耐や氣苦勞を尻目に、自分勝手に「肝腎なことは何も書かれてゐない」などと不滿を表明してゐるSuckyさんに對し、私が大口を開けて呆れかえつてゐる表情も想像できるだらう。そもそも初端の根本のやり取りが理解されないのだから、それを基にしたその後の話をする氣が起きないのは、ごく當然な心境である――後付けで何を言はれてもその根本がかみあはないのだから。この人、何か惡い宗教にでもはまつてゐるのか、説明をしないことは不遜である、といつた意味の暴言を繰り返してゐる。はつきりと言つておくと、「説明をして頂く」にも資格は必要である、Suckyさんも猿に對して説明をしようとは考へないだらう――例へ猿がSuckyさんの文章に目を剥いて鼻を剥いて怒り散らしてゐたとしても。ちなみに、予め言つておくと、不遜な態度の輩に不遜な態度で返すことは、人間としてごく當り前な心境である――どこまでも不遜な輩に對しいつまでも叮嚀な應對はできない。それをこともあらうに、説明をしないことを良いことに、讀解力のない自信の讀者に對してだけまかり通る勝利宣言までしてゐる、そのやうな輩に何も言ひ返さないほど、私は人間が立派にはできてゐない。猿のいふことだからと、さういつた氣持ちでできるだけ大目に見ようと心がけてゐたのだが、こゝまで調子に乘られると――公開の場で好き放題言はれると――かなり不愉快だ。以上のやうな經緯ももろともせず、更に新しい理窟をこねくり囘してでも何とかこのやり取りの勝利者にならうとするSuckyさんの姿が目に見えて滑稽なのだが、こゝの讀者諸君は私と一緒に、冷やかな目で次のSuckyさんの新たな主張を待たうではないか。

私がSuckyさんを猿だと見做した表現に對し、猿だと見做されても仕方のない對應しかできないSuckyさんが、「こいつは不遜だ」などとの言ひわけを始める未來に三千ペリカ。

態度(3)

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2009-10-19T23:04:23+09:00
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態度(2)の續き。

そもそも、言ひ返さなければならない場面で、自身の文章にいつまでも時間をかけざるをえない時點で、Suckyさんの何としてでも自身の正當性を喧傳したい態度が伺ひ知れる。自身の主張であれば、今さら再考する必要はない、湯水の如くその主張は溢れかへるものである。いつまでも自身の主張を「推敲」せざるを得ないSuckyさんに對し、我々は冷やかなる眼を持ちつゝも待たなければならない。次はどれほどトンデモな理窟が飛び出すのだらう、自身を何としてでも正當化しなければ氣がすまないその態度は淺ましい。

態度(4)

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2009-10-19T23:12:38+09:00
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態度(2)態度(3)の續き。

「あたしのマリファナが盗まれたの!」と警察に通報した女性、もちろん逮捕を讀んで、何かを聯想した、もちろん、言ふまでもないがSuckyさん。

態度(5)

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2009-10-20T00:15:31+09:00
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「平氣で尻をすりよせてくる*」や「自ら率先して、自らの尻を私にすりよせてくる*」等と云ふ一方的な被害妄想で理のないことを根據に、「聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。*」と云ふ自身の利益を求める人。

私は「聲もかけずに〜」との文章の前に、「むしろ」と加えてゐる、再度讀み返して慾しい。今さら説明をするまでもないが、「寧ろ」との言葉には次のやうな意味がある。二つの物事をくらべ合わせ、あれよりもこの方を選ぶという意を表す。「あれ」とはそれ以前の文章であり、「これ」とは「〜何とかしなければならない」との文章で、まともな日本語能力を持つ人間は、この程度説明するまでもなく理解できる。にも關らず、この讀解力がない人間は、「根據」などと言つてみせてゐる、どこまで自身の都合で他人の文章を讀まうとするのか。まあSuckyさんに讀解力がないのではなく、「むしろ」との言葉が附いてゐることを邪魔と考へ、わざと「むしろ」を除いたかたちで引用をしてゐるのかも知れない、さうだとするとこれ以上ないくらゐ淺ましい。あへて説明をすると、「尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない」が、私の主張である。誤解を招く表現であることを詫びたのは既述だが、いつまでもこのやうなことをひつぱり出してまで他者を貶めようとする態度は、どこまでも不遜である。表現に拙い點があつたことは認めてゐる、貶められなければならないのは私の表現――文章なのだが、Suckyさんはそれを「根據」に七鍵の人格を貶めやうとする。私がSuckyさんを不遜だと極め附けるその理由も、かうして改めて説明をすると明らかだらう。にも關らず、自身を不遜だと極め附けられたSuckyさんは、何とかして七鍵を不遜な輩だと理窟をこねくり囘さうとする。どう思ふだらう、この態度。

世界図書館のノート作者樣へ

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2009-10-20T00:34:24+09:00
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これは私にも含みを入れてゐるんだよな。さうでなければ誤解を防ぐ爲にさうでないと言ふだらう。

言ひわけのしやうもないのですが、前囘トラックバックをいただいた記事は、私自ら設定した排除Stringsにひつかゝり、私の眼に觸れてゐませんでした。お詫び申し上げます、後付けではありますが、ご指摘の記事は世界図書館のノート作者樣のことについて書いたわけではないことを明言します。

私が一貫した主張を出來てをらず、全體として言ひたい事を言つてゐるだけなのは認める。しかしそのまゝで良いとは思はない。それに七鍵さんと似た樣に自己の利益を求める爲の論理以外なかなか組み立てられない事を認める。しかし事實として私はその論理だけに從つてゐるのではないし、言葉の上でもそのまゝで良いとは思はない。

ご指摘の通り、私自身、利を求めることばかり主張してしまつてゐます、拙い態度だと反省しながら。なるべくそのやうな態度を公の場に出さないやう、webでも生活でも心がけようとしてはゐるのですが、至らないばかりに理想とは裏腹に、利ばかり求める態度を表に出してしまひます。お恥ずかしい限りです。呆れることも多からうとは思ひますが、これに懲りずまた遊びにきてください。

2009年10月18日

讀書感想文――胡蝶の夢

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2009-10-18T11:12:04+09:00
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司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を讀了。特定の主人公はゐないのだが、松本良順、司馬凌海、関寛斎の生涯を、幕末の蘭學との媒體を通して描いてゐる。題名は『莊子』から。荘子――荘周――は夢に胡蝶に化った。荘周自身、自分は人間だと思っていたが、実体が胡蝶であって胡蝶が夢を見て荘周になっているのか、荘周が夢を見て胡蝶になっているのか。司馬凌海――伊之助は、大きな流轉の時代を生き、何ら爲さざるまゝにその時代の山場を越へた自身を胡蝶だと見做した。

讀み終つた勢ひで、當日記の題名を變更。感ずるところがあり、伊之助の日記の題名を拜借。

美味いもの

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2009-10-18T19:25:29+09:00
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「美味いものを食べると、美味い酒が呑みたくなる」とは、どこの酒の宣傳文句だつただらう。夕飯に作つた麻婆豆腐がやけに美味く、せめて休日くらゐはと控へてゐた酒をひつぱり出してきてゐる。

態度

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2009-10-18T23:40:57+09:00
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「馬鹿つていつたものは馬鹿」式のトラックバックをまた受けた。これに對し、私にも世間體があるため、再度「馬鹿」などといひ返したくないのだが、かうまでいつまでも無意味なトラックバックを受けると閉口どころか開いた口が塞がらない。まあ「會話でなくても問題ない」のであれば暇つぶし程度にはつきあはう。それ以前に、トラックバックとは不思議なもので、受けると何か言ひ返したくなるものだ。

かういふ輩は、言ひ返されないことを唯一の證據として、その相手との議論に勝つたつもりでゐるのだが――私は自身の論の勝敗など氣にもしてゐないのだから、下らない相手に對して、相手が勝つたつもりにならうがどうしやうが、まともな讀者であればどちらに理があるかは言ふまでもなく判ると信じてゐるからこそ「そこ」に對し言ひ返ささうとしないのだが――、彼は「自身の感じる道徳こそ正しい」と思ひこみ、たつたその儚いものだけを論據に自身以外の他者を貶めようと躍起になる。かういふ道徳の話で、間違つてゐるか否かなど自身の價値感でしかないのだが、かういふ輩は自身の感じる道徳に「理」があると思ひこむ、ばかりか、それを論據に「何か利――理ではない」があつて他者を貶めようとする。どれだけ傍若無人なのだらう。道徳とはそれほどまでにも便利なものなのか。自身では理解することもできない「理」に對し――そもそも彼は理解をする氣がなく、勝つことにのみ意義を見出して論を組み立ててゐるのだが――、「理がない」と極め附けて自身の利のために他人を貶めようとする態度は非常に淺ましい。勝つことが私の利などといふ輩の論に耳を傾ける必要はない、そのためにがんばつて理窟をこねくり囘してゐるに過ぎないのだから。

しかし、七鍵さんたつた一人の判斷ではないなどとよく言へたもので、たつた一人、自身の判斷で七鍵を貶めようと躍起になつてゐる輩がいふのだから、目も當てられない。この人、自分が何を言つてゐるのか解つてゐるのだらうか。これだから讀解力がない輩は相手にしたくないのだ――自身の言葉すらまともに理解できないのだから。他人の態度を罵る前に、自身の態度を反省してみては如何か、そちらの方がよつぽど自身のためになる。

私は、この人のいふ「女尻なんとか問題」に對し、今まで一言も辯明をしてゐない。この場で初めて辯明らしいことをすると、辯明をしなかつた理由は明らかで、まともに文章を讀めるものであれば、私がの尻を觸つて喜んでゐるとか、が尻を押し付けてくることが迷惑だなどとは讀まないから。その證據となるか否か、こゝの讀者には女性もたくさんゐて、その女性からは一言も「不快」だなどと言はれてゐない、むしろ女性の方が私の言ひたいことを的確に捉へてくれた、まあどうでも良い傾向の話。が、この自身の利ばかり貪る輩は、あたかも自身の價値観を七鍵以外が皆感じる價値観のやうに喧傳し、あたかも自身が虐げられてゐる者の味方のやうなふりをして、自身を正義漢だと見做して悦に入つてゐる。私はこの態度に苦言を呈してゐるに過ぎない。別にこの讀解力がない輩がどこで勝手に自慰行爲をしようが、そのやうなことはどちらでも良いのだが、自慰行爲にトラックバックといふ形で付き合はされてゐる私の苦勞も、こゝの讀者には察して欲しい。トラックバックとは、大きく分けて、「他の文章と關聯のある文章を書いた」か「他の文章に對して何か言及をした」ことを明確にする機能である。自慰行爲のために使ふ機能ではない。

口が惡かつたことは詫びたが、どこまでも口が惡い輩に對し叮嚀な言葉は使へない。

こんな記事に對し、いつまでもこゝの讀者にとつてみればどうでも良い話を續けるのも心苦しくなつてきた。良い加減、傍若無人な輩に對する「蟲籠日記」でも作らうかな。

2009年10月15日

議論

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2009-10-16T01:38:00+09:00
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議論とは、お互ひに認め合つてゐるそれぞれの間でしか成り立たない行爲である。お互ひに認めあふ間柄であつてこそ、はじめて議論は成り立つ、有意義な會話になる。認めてもゐない輩から――たいてい、論ずるにも値しない内容で言ひがゝりをつけられてみて、そのことについて何か質問をすると眼を剥いて鼻を剥いて口角に泡をまきちらしながら何か言つてくるのだが――、何でも良いやうな内容で言ひがゝりをつけられても、こちらにとつてみれば猿が眼を剥いて鼻を剥いて怒りちらしてゐるのと同じことだ、まともに相手をする氣分すら起らない。そのやうな輩に限つて、説明をしないことは無責任なことだ、などといひ出す始末なのだが、もう良い加減面倒になつてきたのであらかじめ言つておくと、私は相手をするにも値しないと私が判斷した相手に對して私の有意義な時間を使はうとは思はない。會話をするにも値しない輩とは、會話をしないに限る、特に議論などしようとも思はない。そのやうな輩から會話を求められても、適當にあしらふにこしたことはない、これはお互ひのためになる眞實だ。

考へてもみるがよい、企業は自身のためにならないと判斷した時點から、相手が何を言つてきても、そこからはクレーマー對應に切り替へる。個人のwebサイトであつても同じことである、話が通じない相手はクレーマーでしかない。それを判斷するのは私――webサイトの運營者――であつて、クレーマーでは決してない。自身が言つてゐることに至らないことがあつて、その結果、淘汰されるのは私なのだから、クレーマーに對して何かを説明する義務など一點たりともない。クレーマーか否かを判斷するには、ある程度會話をしてみなければ判らないのだが、そこで、どこでも良いある時點でクレーマーと判斷したら、容赦なく話を打ち切るべきである、むしろ打ち切らなければならない。

こゝの讀者に、一つ良いことを教へると。クレーマーかどうかの見分け方。自身のことではないにも關らず何かについて怒つてゐる者、これは殆どの場合――ほゞ間違ひなく――クレーマーである。

クレーマーの定義

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2009-10-16T01:47:41+09:00
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クレーマーとは、理ではなく利を求める者。利とは、自身の利益であつて、他人の利益ではない。利があるにも關らず、自身の利を巧妙にひたすら隱さうとするため、クレーマーには注意が必要。

2009年10月13日

水上バス

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2009-10-13T23:16:55+09:00
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先日、東京国際展示場に行つたのだが、その歸り、生れて初めて水上バスなるものに乘つた。モノレールに乘らうとしたところ、たまたま看板が目に入つて物珍しかつたとの、たゞそれだけの理由で乘つたのだが、乘つてみるとこれがとてもおもしろい。二十分ばかりの旅だつたのだが、周りの目も忘れてつひキョロキョロとしてしまつた。何がおもしろいかとの理由などない。お台場やらレインボーブリッジとの有名なものも眼に入つたが、そのやうなものに浮かれてゐたわけでもなささうだ。かといつて、誰かに自慢できる經驗をしてゐることに浮かれてゐたわけでもなささう。私は、船旅を好む性格なのかも知れない、何とか無理矢理にでも理由をつけようとすると、これがせいいつぱい。

それはさうと、東京国際展示場のピラミッドを逆さにしたようなあれ、落ちてこないのだらうか。もう數へきれないほど訪れたのだが、訪れるたびに、まだ落ちていないことに胸をなでおろしてゐる。さう考へると、東京には落ちさうな建物の一部が多く、見るたびに餘計な心配ばかりしてしまふのだが、日テレの建物だけは觀てゐて安心、少々の地震には平氣で堪へられさう。

2009年10月12日

更新履歴――保管ほか

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2009-10-12T15:34:54+09:00
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上記以外にも、いろいろと作成。

虚無

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2009-10-12T20:15:42+09:00
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正義や因循といつた類の論は、爭ひの段階になればもはや根も葉もない。根も葉もないものだからこそ、爭ひがいつまでも收束せず、ましてや論が次の段階に陞華することもない。いつまでも收束しない爭ひなど、雙方、冷静になつてしまへば根も葉もないことに過ぎないものである。實態のあるものについて語るとき、ひとは決して、論が收束しないにも關らずいつまでも爭ふほどに昂奮はしないものだ。逆説を弄するわけではないが、だからこそ、實態がないことを主張したいからこそ、論敵といふ具體的な實態を慾しがるのかも知れない。

虚無(2)

最終更新
2009-10-12T20:42:05+09:00
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では、「實態のないもの」とは何か。實態がないものにまで、ひとはさうさう頭が囘るものではない。ましてや實態がないことに主張など、ひとの頭からなかなか生れるものではない。まちがひなく實態があるからこそ、ひとは主張をするのである。では、「實態がないものの實態」とは何か。それは、それらを主張する者が何としても隱し通さなければならないものであり、それを隱し通さうとするからこそ、その者は實態のないもの――いつまでも收束しない正義や固陋な態度――を創り上げなければならないのである。つまり、他の目的があるからこそ創作した主張が、いつまでも收束しない正義や固陋な態度なのである。自分で論ずるだけでは飽き足らず、實態のないものを創り上げてでも何とかして論敵を探し出し、何としても隱し通さなければならないことをこつそり具體化しようとする態度に、我々は騙されてはならない――疑問をもたなければならない。

技倆

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2009-10-12T21:00:14+09:00
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煙草のからを丸め、五尺ほど先のゴミ箱へ投げる。三囘連續でみごと入つたあたりから、嬉しくてしようがない。

虚無(3)

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2009-10-12T21:16:41+09:00
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ひとは、腹がすけば、盜みくらゐのことは平氣でやりかねない。盜みを正當化しようとする態度に正義はなく、腹がすいても盜みをしない態度にこそ正義はやどる。正義とは即ち、態度にしか宿らないものである。論になど正義が宿るはずもない。

虚無(4)

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2009-10-12T21:20:52+09:00
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これらの虚無での論が、私自身、虚勢である。だからこそ記事にしてゐるのだが、なかなか論は態度に陞華しないものである。一年後、この記事を讀んで、私は何を感じるであらう。

虚無(5)

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2009-10-12T21:26:47+09:00
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なかなか、思ふやうには態度がつくれず、つひ論敵をみると嬉しく感じてしまふ。そして行動に移してしまふ。こゝ一か月ほどの反省點――私は相手が何を言つてゐるのかなど、どちらでも良かつたのだらう。

虚無(6)

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2009-10-12T21:38:03+09:00
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自身を正當化しようともしない態度は、間違ひなく忌むべき態度だが、誤りを認めるとの態度にはむしろ正義が宿るのではないか。私はまだ、誤りを認められない。何かを考へると、自身を正當化しようとする態度が滿ちあふれてくる。だからこそ、誤りを認めるとの態度に希望を持つてゐる。誤りとは、正義の對義語ではない。誤りを認め、もう一方の誤りを誤りと認めるのであれば、それは自身を正當化する態度にほかならない。誤りを認めるとは、そのやうに單純な態度ではない。

2009年10月11日

本日の名言――愛情

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2009-10-11T22:15:21+09:00
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親が子に対する愛情こそは、まったく利害を離れた唯一の愛情である。

Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年10月11日