2009年9月下旬

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2009年9月30日

またきた、女々しいSuckyさん

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2009-10-01T03:52:07+09:00
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しかし。下らない。その一言につきる。「あなたかう言つたよね」とか、「それならば最初からそのやうなこと言はなければ良かつたのに」とか、「その姿勢を徹底しませう」とか。何が下らないか。女性が男に對してそのやうなことを言ふのはまだ可愛げがある。女性はそのやうな話を好むもので、それを聞くのが男の役目である。が、男が、人の言つたことの大意ではなく、言葉の端々をちまちまねちねちと自分のことはたなにあげてつゝくその態度、本當に下らない。説明をするのも阿呆らしいから説明しないんだよ、もともとあなたに言つた言葉でもないことを、何故、平均以下の讀解力しか持たないあなたにその詳細までを説明しなければならないのか。それに對して、「羨ましい」などとどのやうにでもとれる感想を、わざわざトラックバックといふ形にしてまで送信してくるから相手にしただけなのに、無駄に話を展げるなどとの感想を、どのおめでたい頭で想ひつくのか。勝手に自分の氣分だけで自分に都合の良いストーリーを作り、それから外れた話を「無駄」だと勝手に思ふなよ、あゝ本當に女々しい。それにしても、少し自分の腹が立つたくらゐで下らない仕返しをして喜んでゐるやうな輩が、他人の揚げ足を何とかとらうとして喜んでゐるやうな自己滿足な日記に對し、何故私が時間を割いてまで仔細を説明しなければならないのか。説明をしないことを良いことに、何を勝手なトラックバックをいつまでも送信してゐるのだ、あゝゝゝ本當に女々しい、下らない。どんな意見でも、惡意に受け取らうとしたらいくらでも受け取ることができる、女々しい男は特に、自分の意見はたなにあげ他人の意見だけをどこまでも惡意に受け取らうとする。同樣に、讀み方によつては善意にも受け取ることができるのだが、女々しい男はある理由から、かうだと極めた相手の意見を決して善意に受け取らうとはしない。

こゝまで書いてふと氣がついたことがある。Suckyさんは、ぜひ、檢證關係のお仕事に携はると良い。他人の缺點やミスを指摘することはもちろん、勝手な解釋を前提とした揚げ足取りやそれを押し通さうとする態度、そのことに何ら疑問を持たないおめでたい頭、それらを好き好むその性格まで、何から何までSuckyさんのその性質にぴつたりと當てはまる天職だ。今後、仕事に就くとか轉職をする機會があるならば、ぜひにでもお奬めする、きつと成功するだらう。閑話休題。

話を戻す。私は、何度もこゝで言つてゐる。讀み取らなければならないのは、その人が何を言つてゐるのか、ではなく。何故言つてゐるのかといふことをだ。Suckyさんは、他人を何とか貶めて自分を優位に見せたい、たゞその賣名行爲のためだけに日記を書いてゐるのである。私は、だしに使はれるのが嫌ひである、が。今囘、だしに使はれた。下らない女々しい輩など相手にするつもりもないし、そんな輩に使ふ時間も正直ないのだが、そんな輩が私をだしにつかはうとするのであれば話は別だ。例えば、一番上だからとの理由で選擇。

「何も私は、自分の意見が正しいと考へてこちらに記事を書いてゐるのではありません。*」と書いた直後に「私の意見だから言つてゐるのです。當然、自分では正しいと思つてゐることなのですが、*」と書いてゐる七鍵さん。どつちだ?

とか言つてみせてゐるのだが。何故かSuckyさんは私の發言を途中で、Suckyさんの都合の良い箇處で私の發言を切つて紹介してゐる。なぜか。もとの發言のまゝ紹介すると、Suckyさんの都合が惡いからである。私の發言の全文を紹介しよう。

「何も私は、自分の意見が正しいと考へてこちらに記事を書いてゐるのではありません。過去に何囘か明言してゐることですが、Suckyさんは讀まれてゐないでせうから改めていひますと、私は正しいことを言はうとしてゐるのではありません、私の意見だから言つてゐるのです。當然、自分では正しいと思つてゐることなのですが、それを他人が讀んで正しいと感じてくれやうなどとは思つてゐません。いや、そのやうな人がゐたら良いなとは思ふのですが、さう思はない人にまでさう感じさせようとは全く考へてゐません。」

いかがでせう、私の發言の途中で何故か切るのと、私の發言を全てを讀むのとでは、受ける印象が明らかに違ふ。それなのに、何故か、理由があつてSuckyさんは私の文章を中途半端に紹介してゐる。これは、私の發言を、私の意圖しない内容――Suckyさんの意圖する内容として喧傳したいか、Suckyさんが日本語の文章に對する讀解力がよつぽどないかの、どちらかである。たつたこれだけをみても、「何故言つてゐるのか」を讀み取らなければならない理由は明らかだらう。

それだけではない。もつとくだらないことに。Suckyさん、偉さうにどつちだ?などと言つてみせてゐるが。

聲を掛けないことがいゝとは言はない。乘方が拙いこともある。さう云つたことに憤りを感じることもある。だが私は相手に事情があることも考へる。他人のことを考へず、自分の都合だけを考へてゐる生活は樂だらうなと思ふ。

これこそどつちだよ。あゝ、くだらない。他人の文章を惡意に受け取ることは、とても簡單なことで、それを進んでやらうとする輩はもう本當にどうしようもないのだが、むしろ他人の文章を善意に受け止めてみては如何か。その方がお互ひ幸せになる。あくまでも一番上にあつたから、Suckyさんの下らなくて女々しい樣の例として、不本意ながら紹介をしたのだが、Suckyさんの言つてゐることは全て、終始かういつた下らない内容である。そもそもこれらのやり取りは、最初、Suckyさんの誤讀のトラックバックに始つたことである。誤讀を指摘したらかういつた話になつた、なりさうだつたから早々に話を切り上げやうとしてゐた、にも關らず、未だ粘着されてゐる。本當に、迷惑な話だ。これつきりにしたいものである。

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2009年9月29日

正しさ

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2009-09-30T01:28:58+09:00
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電子メールで質問をいたゞいた方へ。トラックバックとは違ふでせうから、引用は控へます。

仰られてゐる「正しい」とは、「1+2=3」のやうに、誰がどのやうに考へても明らかな正しさのことを例に擧げられてゐるに過ぎません。御存知ないかも知れませんが、説明のできる正しさとは、世の中にある問題のごく一部に限られた話でしかありません。考へてもみてください。例を擧げると、例へ話ですが。「今の仕事を續けるのが正しいか」、「好きな異性以外が二人以上存在することは正しいか」、「私の幼少時代に誤りはなかつたか」など、擧げればきりのないことなのですが、これらに正しい答へを出せますか。それは、誰がどのやうに考へても明らかに正しい答へですか。

私の表現してゐる「正しい」と、今囘指摘いたゞいた「正しい」とは、どうも話がかみあつてゐると思ふことができません。「1」に「2」を加えると「3」になることくらゐ、私でも解りますよ。一つだけ言葉を借りると、私に對して「短慮」と仰いますが、どのやうな問題に對しても客觀的な答へが用意されてゐるとの考へ方こそ淺はかな考へ方ではないでせうか。世の中には、自分で「正しい」を判斷しなければならない場面などいくらでもあります。それら一つ一つに、誰もが認める「正しい」が存在するなどとの考へ方は、あなたの思ひ上りではありませんか。「正しい」を自分なりに解釋してゐませんか。

2009年9月28日

泣き面に蜂

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2009-09-29T00:23:26+09:00
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一升瓶から徳利へ、燒酎を移しかへてゐた、その大事な一時。携帶電話が振動し始めたので、メールなのか電話なのかを確かめようと、そちらに氣を取られた。正確にいふと、畫面を目視で確認することによりメールなのか電話なのか、どちらなのかを判斷しようとした、燒酎を移しかへながら。すると、案の定、一杯になつた徳利から燒酎がこぼれた、床に敷いてある絨毯にまで水溜りができるほど、勢ひよくこぼれた。まるで漫畫のやうだ、などと自らにふりかゝつた不幸を振り返りつゝ、こぼれた燒酎を拭くための雜巾を取りに隣の部屋へ向つた。雜巾を水にぬらし、事件現場へ戻つて來て燒酎を丹念に拭き取り、雜巾を洗つて干して再度戻つてきた正にそのとき。ふたを開けたまゝ放置してゐた燒酎の瓶をおもいつきり蹴り飛ばしてしまつた。

未だ、部屋中が酒の香りでいつぱい。

2009年9月27日

Suckyさんへ(3)

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2009-09-27T02:01:02+09:00
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一通り、讀みました。私のいひたいことは前囘書いてゐます、特に新たに加えることはありません。どつちだ?とか教へて欲しい。と、會話を求められてゐる部分にだけでも答へようかとも思つたのですが、特に意味――それをSuckyさんに理解してもらはなければならない動機――も見出せなかつたため、申しわけないがそれらも割愛します。

讀書感想文――竜馬がゆく

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2009-09-27T04:53:17+09:00
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やつと、『竜馬がゆく』全八卷を讀了。名作との噂に違はず、また人氣が示す通りの物語。費やした時間だけをみると「やつと」なのだが、讀んでゐる最中は正に時間を忘れてゐた、氣が附くと既に黎明。この作品の魅力は、司馬遼太郎が作りあげた坂本竜馬像にある。當作品に限らず、物語の魅力が主人公によるなどあへていふまでもない當前のことなのだが、それでもこの作品の魅力は坂本竜馬像につきる。また、桂浜の竜馬像に會ひに行きたい、それが一番の感想。

讀書感想文――竜馬がゆく(2)

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2009-09-27T05:02:27+09:00
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讀了後の餘韻が殘り、何だか眠る氣になれない。次は何を讀まうか、物色中。

2009年9月23日

レシピ

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2009-09-23T11:35:02+09:00
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山椒の芽とシャケフレークを入れた炊き込みご飯、思ひのほか美味かつたのでこゝにメモ。

更新履歴――かんかん踊ほか

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2009-09-23T20:00:09+09:00
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以下のページを新規作成。

讀書感想文――竜馬がゆく

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2009-09-23T21:33:13+09:00
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感想文とはいひつゝまだ途中、やつと六卷を讀み終つたところで全八卷。第二次長州征伐あたり。司馬遼太郎はその作中でしきりに、ミニエー銃を指して「元込め式」と書いてゐるが、正しくは前装式だつたらしい。何でも調べてみないと分らないものだ。さういへば。幕末・維新あたりの歴史ものは、多くの偉人が寫眞を殘してゐるため、それを調べて人物像を想ひ描きながら讀み進めるのがまた樂しい。坂本竜馬の寫眞は有名だらうが、あの顔を浮かべつゝ讀む臺詞はまた何ともいへない、一層、親近感がわいてくる。

Suckyさんへ(2)

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2009-09-23T23:56:20+09:00
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またトラックバックを頂いたので、返信。Suckyさんへ。

最初からさう言つてくれると、よく解りますし助かります。二度に亙り「羨ましい」と仰られてゐたので、皮肉かとも思ひつゝ、それでもと思ひ前囘は會話にのぞまうとしただけです。何も私は、自分の意見が正しいと考へてこちらに記事を書いてゐるのではありません。過去に何囘か明言してゐることですが、Suckyさんは讀まれてゐないでせうから改めていひますと、私は正しいことを言はうとしてゐるのではありません、私の意見だから言つてゐるのです。當然、自分では正しいと思つてゐることなのですが、それを他人が讀んで正しいと感じてくれやうなどとは思つてゐません。いや、そのやうな人がゐたら良いなとは思ふのですが、さう思はない人にまでさう感じさせようとは全く考へてゐません。さらに。文章で私の機微までもが傳はるとも、當然思つてゐません。しかし、機微以前に大きく誤讀をされ、皮肉か何か判らないトラックバックを受けたため、返答を書いただけです。私の主張が誤つてゐる――正しくない――と感じるのであれば、それで良いではありませんか。私は誤讀を指摘したのです、Suckyさんの感性に異議を唱へてゐるのではありませんよ。

ちなみに。前囘書いた「可笑しいと感じる位相が違ふ二人は、」以降の文章は、他人のことを考へず、自分の都合だけを考へてゐる生活は樂だらうなと思ふ。と仰られてゐたSuckyさんなら解つていただけるかと思ひ、お願ひをしました。たゞのお願ひですし、意見をいへば否定的な意見を受けることがあることも知つてゐます、氣になさらないでください。Suckyさんがさうするやうに、私もSuckyさんの性格を觀やうとしただけです、いま私はSuckyさんのことを自分本位な人だと觀てゐます。

しかし、氣にする必要はありませんよ。相手の事情を考へない、自分の都合だけを考へてゐる人を指して自分本位とこゝでは定義しますが。人間だれしも自分本位なものです、自分本位な感覺はなかなかゼロにはなりません。特に、意見といふものは自分本位のかたまりのやうなもので、それを、知人であれ親友であれ、見知らぬ他人であれ、ぶつける際には、先ずはそれが自分本位であることを理解しなければならないのです。百個あるうちの一個が自分本位なのではありません、濃度のやうなものといへば理解していただけるでせうか。自分が相手本位でものを考へられてゐると感じるのは勝手ですが、百に一つくらゐは自分本位が混じつてゐるものです。自分以外に意見をいふ際は、氣をつけなければなりませんね、お互ひ。それにしても、Suckyさん、かなり良い部分まで近づけてゐたと思ひますよ、他人にいふ意見なんて、その大半は愚痴です。愚痴でない意見は自分本位でない意見だと考えてゐます。

ついでながら。お喋りついでに加えます。肝腎なことは何も書かれてゐないとSuckyさんは仰いますが、私は「聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣は何とかしなければならない。」と言つてゐるのです。それ以上でもそれ以下でもないのですが、この意見の正當性――正しいと思ふ理由――をSuckyさんに語つてどうするのでせう。私はそもそも誤讀を指摘したかつただけで、正當性云々は肝腎だと考へてゐませんでした。Suckyさんが肝腎だと仰るのであれば、お喋りに付き合ふのもやぶさかではないのですが、むしろ、議論――正當性の押し付けあひ――して何か結論が出る、それは非常に拙いことだと思ひます。これは持論なのですが。人はなかなか自身の意見を變へるものではありません、むしろ無理矢理變へやうとすると、何かしらわだかまりが殘るものです。以前、とは言つても最近、書いた記憶があるのですが、改めていひますと、正しいといふ感覺は他人に押し付けるものではありません、自分の正當性は自分で判斷し、その「正しい」を聞いた者はその人自身が正しいか否か判斷をするものです。むしろ、正しいとの感覺は共有すべきものであつて、感覺が違ふもの同士が、これが正しい、と言ひ合つたくらゐでは、相手の價値觀は變はりません。特にwebといふものは。面と向つて話をしてゐるのではありませんし、お互ひ文章がつたない部分もあるかも知れません。つまり、私の言はうとしてゐることの全てがSuckyさんに傳はらないでせうし、逆も然り。そのやうな状況で正しいことを押し付けあふ行爲は、人によつては自己滿足を得るでせうし、暇つぶしになるかも知れませんが、私は、webで正當性をぶつけあつて何か得られるとは思つてゐません、むしろ不利點しか見付かりません。なんだか長文になつてきたのですが、何が言ひたいかといへばつまり、相手の文章の拙い部分を見つけては、自分本位で相手の考へを全て解つたつもりになり、それに反論を加えて相手の人格までを極め附けるやうなやり取りに、私は興味を持ちません。私はこれからも、こゝで自分の意見を書くつもりですよ、Suckyさんが見やうが見まいが。

2009年9月21日

退化

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2009-09-21T03:13:51+09:00
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この聯休中に『竜馬がゆく』を讀破しようと思つてゐたのだが、いまだ三卷の半ば、全八卷。丁度、龍馬が勝海舟に弟子入りした件。しかし。幕末の人々は、現代からすれば氣が遠くなる長距離を、よくもまあ歩いたものだ。日進月歩とはいふが、それはあくまでもインフラや道具、考へ方が進歩をしてゐるだけで、人間自體は歳月をへるとともに退化してゐるのではないか。

更新履歴――慈恩寺他

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2009-09-21T17:25:11+09:00
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上記を更新。

寫眞の撮影とはなかなか上逹しないもので、構圖を頭に描くことなど論外、眞つ直ぐに寫すことすらできない。デジタルカメラなのだから保存されたものをその場で確認すれば良いのだが、寫す瞬間の畫像を見て判斷をするため、失敗してゐることが多い。どうも、シャッターボタンを押さうとしてカメラ全體に力が入り、ボタンと一緒にカメラまで押されて歪んでゐるみたい。デジカメといひつゝ、携帶電話に附屬したものなのだが、本物は歪まない自動補正機能など附いてゐるのだらうか。

Suckyさんへの返事

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2009-09-21T18:51:26+09:00
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再度トラックバックを受けた。

言ひたいことが読取れなくて申訣ない。この方は「「聲もかけずに、尻を摺り寄せて電車に乘らうとする習慣」*」が駄目だと言つてゐるさうだ。

この方は、譬へ滿員でも電車に乘らなくてはならない時がないのだらう。何時でも「十分くらゐは何本か電車をやり過ご*」す餘裕があるのだらう。

本人を前にして、本當にいひたいこととは違ふ主張を獨り言のやうにつぶやく姿を、Suckyさんは見たことないのでせうか。見たことあるのであれば、何か感じませんでしたか。「良いな、早く歸れる人は」とか「となりの○○君は、このあいだの試驗で滿點だつたさうよ、勉強できる子供をもつ親は羨ましいねえ」とか。何か裏に含むものがあるのではないかと、邪推したくなりませんか。私はなります。謝罪の言葉の後に續いてゐるため、餘計に邪推――謝罪を打ち消してゐるのではないかと――してゐます。言ひたいことははつきりとどうぞ。かたちだけの謝罪のやり取りは、お互ひに厭な氣持ちになるだけです。

聲を掛けないことがいゝとは言はない。乘方が拙いこともある。さう云つたことに憤りを感じることもある。だが私は相手に事情があることも考へる。他人のことを考へず、自分の都合だけを考へてゐる生活は樂だらうなと思ふ。

こちらは、前囘受けたトラックバックの内容と同じですね、私も同感です。私もそのやうな生活ができるのであれば樂だらうなと思ひますよ、もちろん憤りを感じることもあります。

話は變つて――前の記事は「おもしろおかしく*」書かれてゐたらしいが、どこが面白可笑しいのだらうか?「讀解力のな*」い私にはさつぱり解らない。

可笑しいと感じる位相が違ふ二人は、それが同姓同士であつても異性同士であつても、なかなかうまくいかないものです。世の中には、うまくいかないことを解つてはゐても付き合はなければならない人もゐるでせうが、Suckyさんと私は無理をしてまで付き合ひ續けなければならない關系ではないと思ひます。こつそり讀んでくれるのは嬉しいのですが、その際なにを思はれても私は知る由もないのですが、面白可笑しいと感じなかつたことを明らかにされても愉快な氣持ちにはなりません。私は私の文章を、面白いと感じてくれる人に讀んでほしいのです。webに公開してゐる文章なので、必ずしもさうはならないといふことは知つてゐるのですが、わざわざ日記が面白可笑しくないと指摘を受ける經驗は、正直少い。自分がさうだからといふわけではないのですが、不愉快に感じるひとも多いのではないかと思ひますよ。できることであれば、これつきりにしてもらひたいものです。

Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年09月21日