2009年5月中旬

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2009年5月12日

傍若無人

最終更新
2009-05-13T00:50:41+09:00
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年齢をかさねればかさねるほど、道徳が身に附くと考へるのは誤り。人はいくら歳を重ねても子どもと何も變らない、教へられてゐないことを自ら實踐できる者は稀である。ではなぜ、現在老人にならうとしてゐる者逹が傍若無人に見えるのか。それは、現在老人にならうとしてゐる者逹と、その者逹が見てゐた老人との間に道徳を含む文化のへだたりがあるため。現在老人にならうとしてゐる者逹は、自分逹の祖父母を否定することばかりを教へられ、自分逹の祖父母の生き方を學ばうとしなかつた。そして、そのことについて何ら疑問を持たなかつた。そのため、道徳や文化を學ばないまゝ歳ばかり重ねてしまつたのである、だから。今までの老人とは違ひ、傍若無人に見られるのである。道徳や文化に對する美意識は、一世代や二世代でころつと變るものではない。美しいとされる道徳を實踐できるか否かが問題となり、實踐できないから傍若無人に映るのである。ハンバーガーやらパスタやらを食して喜んでゐる場合ではない、――道徳を含む――文化を斷絶させてはならない。まさか、北斎や金閣寺が文化だなどと思つてゐるのではないだらう、文化とは當時の人々の生き樣にあり、教科書に載つてゐる文化などそのごく一部分に過ぎない。

もちろん、それは次の世代、更にその次の世代に對してもいへることで、文明開化の時代ではないのだから、もはや西洋の眞似をして喜んでゐる場合ではない。むしろ、文明開化の時代の祖父母逹が我々に何を殘してくれたか、大正、昭和初期の祖父母逹が我々に何を殘してくれたか、それを更に次の世代へ傳へなければならない。西洋において美徳とされる實力主義やら機會均等など、さらに、誤解を懼れずいふなれば、平和や自由、平等など、そのやうなものをありがたがつてゐて何にならう。長い人類の歴史の中で、それらを美徳としてゐた歴史がいかに短く、未だ實驗段階にしかない美徳に過ぎないにも關らず、手放しでありがたがるおめでたいお頭ばかり學んでゐる場合ではない。學ぶことはほかにいくらでもある、今まで怠惰に過してきたそのつけがいま囘つてきてゐると、我々は考へなければならない。未だ手遅れではないが、美意識すらも斷絶した時點で日本といふ國は崩壊する。

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Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年05月12日