2009年1月中旬

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今日は何の日(Javascriptを使用しています)。

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2009年1月20日

現状報告

最終更新
2009-01-20T22:47:01+09:00
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最近、自宅で使つてゐるパソコンの電源がよく落ちる。いきなり、何の前觸れもなく、プツンと落ちる。本日は、日記を書いてゐていきなり落ちた。半分ほどはvimが自動で保存してゐてくれたのだが、またもう一度同じ内容を書く氣にもなれない。このパソコン、未だ五年くらゐしか使つてゐないのだがな。

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2009年1月16日

本日の名言――愛

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2009-01-17T01:17:02+09:00
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二種類の愛を得るなんてことはできないわ。どうしてそんなことができるの!

できないかもしれない。しかもぼくはほしいんだ

そんなことできないはずよ、だってそれはまちがっているんですもの、不可能なことなんだわ

ぼくはそうはおもわない

『戀する女たち』の結末より。バーキンとアーシュラのどちらが正しいではなく、どちらに共感できるか、さういつた話。價値感の違ひをいつてゐるのではない、結局は同じでしかない價値観を等しく受け入れられるか否か、さういつた話。愛は個性に通じるものであり、到着地點である。愛を旅路の途中と看做すと、たちまち自己欺瞞に陷つてしまふ。旅路の途中でしかない價値観を押付け合ふ姿にはうんざりする。

本日の名言――MIYAKE

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2009-01-17T02:09:42+09:00
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俺はエピクロスの言葉を取り上げて、エピクロスの言う「哲学」を述べただけで、俺の主張ではない。 文句があるならエピクロスに言え。

こう突っ込まれるだろうなあ。 いちおう書いておくと、エピクロスは哲学に実利的な何かを求めて居る点で誤って居ます。 共産主義の根底にある無神論、唯物論では、人間を説明出来ない。 おそらく、彼は哲学を普通の人に分かり易く広めるために──宣伝手法として、実利的な側面を述べたのでしょう。 また、彼の研究は其処だけではないので、全部を否定する積りはありません。 それよりも、

七鍵さんは、自身の筋の通った主張をしない。 あちこちから「箴言」を引っ張って来ては、どうだ、俺様は凄いだろう、と思わせて居るに過ぎない。 虎の威を借る何とやら。 「過去の偉人の言った事」を数多く知って居る俺様は誰にも負けない、と思って居るのでは。 自身が「神」になって仕舞うと、往々にして普通の考え方が欠落します。

リファラを辿つてゐて見つけた記事。こゝまで曲解されるとある意味面白い。「いちおう書いておくと」、「箴言」とは虎の威を借るやうなものではなく、多くの者が知つてゐるフレーズといふのが私の感覺。虎の威を借つたやうに感じるか否かは、受け取り手次第であり、決して私はそのやうに思つたこともないことを先ずははつきりさせておく。それについて私の感じてゐることを書いてゐるのが「本日の名言」、多くの者が知るフレーズだからこそ、それに對する自身の立ち位置をはつきりさせておきたい、そんな動機から續けやうと心掛けてゐるコンテンツに過ぎない。MIYAKEさんは、七鍵さんは、自身の筋の通った主張をしない。なんて喧傳してみてゐるけれども、正しく山のやうにあるフレーズの中から自身の琴線にあつたフレーズを選ぶこと自體が、七鍵の主張である。筋が通つてゐるか否かは讀者に任せる、が、自身の主張をしてゐないとの極め附けを喧傳されるといさゝか不愉快だ。

ついでに言つてをくと。MIYAKEさんは「蛇足」だなんて表題をつけてみてゐるけれども、「蛇足」以外が實は蛇足であつて、本當に言ひたいのは「蛇足」の部分。私は事あるごとに言つてゐる、「何を言ふのかではなく、何故言ふのか」と。そこにMIYAKEさんの欺瞞が見え隱れする。何故MIYAKEさんがこのやうな記事を書かなければならなかつたのか、賢明なる讀者はそこまで讀み取らねばならない。

また、こう突っ込まれるだろうなあ。なんてMIYAKEさんは言つてみてゐるけれども、私が選擇したフレーズである以上、それが虎か鼬か知らないけれども、そのやうな何かの自身以外の主張だと思つてみたこともなかつた、自身の記事として書いてゐる以上それを他人の主張だなんて責任轉嫁できるものとも思つてみなかつた、それがある意味面白かつた。百の内、二三、不愉快だと感じる部分があつたので、とりあへず思つたことを書いておく。が、今までの經驗上、MIYAKEさんと話をして何かを得られた試しがない。MIYAKEさんとは、とりあへず言つてみた自身の言葉を精一杯とりつくらうのに終始するだけの人間である。何だかんだと話を散らし、とりつくらうことに精一杯なだけの人間である。見てしまつた以上、しかも不愉快だと感じる部分があつた以上、何か言つてをかないと私の氣がすまないが、できる限り關りを持ちたくない人間の一人である。だつて下らないもの。

2009年1月15日

本日の名言――獨り善がりな善意

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2009-01-15T22:08:57+09:00
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自分が他人にして貰いたいことは他人にしてやるな。他人の趣味は自分と同じではないかもしれないからだ。

自分が他人にして貰ひたいことを他人は自分に望んでゐる、さのやうな獨り善がりな善意ほど迷惑なものはない。ニーチェも『ツァラトゥストラはかく語りき』にてかう語つてゐる、悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はないと。だからといつて、私は、獨り善がりな善意を止める者ではない、むしろそれは實行にうつされるべきであると考へる。獨り善がりな善意が迷惑なものであるか否かは、行つてみないと判らない。を見てせざるはなきなり、義のない善意が迷惑なのであり、迷惑ではない善意は義に通じる。善を爲すことを躊躇してはならない、例へ獨り善がりなものであつても。

2009年1月13日

本日の名言――哲學

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2009-01-13T22:06:03+09:00
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身体から病気を追いだすことのできない医学にはなんのとりえもないように、精神の苦しみを追いだすことのない哲学にはなんのとりえもない。

哲學とは、精神の苦しみを追い出すための學問である。ビアスは『惡魔の辭典』で哲学――どこからともなく始り、どこへ行き着くということもない、多くの道からなる一つのルートと極め附けてゐる。どのやうな道を進まうとも行き着く先はさう變るものではない。臆病者が前に進むための負擔を少しでも輕くするための甘言、それが哲學の正體である。迷ふことなく一歩を踏み出せる人間に、哲學など必要ない。

2009年1月12日

更新履歴(中禅寺ほか)

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2009-01-12T20:10:28+09:00
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今回の坂東觀音めぐりで、私の印象に一番殘るであらうお寺が、中禅寺湖の湖畔に位置する中禅寺。南國育ちの人間が雪山の運轉などするものではない、チェーン無しで雪山に登つて降りる破目に陷らうとは。チェーンが必要だつたら引き返せば良いと考へ進み始めたのが運の尽き、中禅寺に至る山道「いろは坂」には第一と第二があり、第二は上り專用で第一は下り專用、それぞれ山の南北に別れて位置する。生きた心地がしなかつた、特に歸り道と、特に特にその歸り道を心配する往路。だからこそといふわけでもないのだが、その景觀は目をみはるものがあつた。

2009年1月11日

日光

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2009-01-11T21:18:04+09:00
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葵の御紋有名なサル

本日は、別件で栃木縣の日光市を訪れたため、せつかくなので東照宮に立ち寄つてみた。感想はといふと、まあこゝまでどこから人が輯つて來たのかと不思議に思ふくらゐ、人・人・人、落ち着いて境内を歩くこともできない、感想どころではないつて感想。雰圍氣を樂しむやうな場所ではない――正確には、雰圍氣を樂しめるやうな状況ではない。

Copyright (C) 2009 七鍵 key@do.ai 初版:2009年01月11日