2008年12月上旬

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2008年12月10日

本日の名言――批評家(2)

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2008-12-10T20:46:52+09:00
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反対したり、論駁するために読書をするな。さりとて信じたり、そのまま受け容れたり、話や議論の種にするために読書をするな。ただ思量し、考察するために読書をせよ。

讀書に限らず、文章に限らず。他人の意見に對する心構へと受け取るべきであらう。こゝでいふ正しい讀書の方法が重要なのではない、これはあくまでもベーコン流の正しい讀書の方法、重要なのは、正しくない讀書の方法である。こちらはベーコンに限らない、萬人に共通する提言であらう。特に、批評家だらけの現代人にとつては。

批評

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2008-12-10T23:29:49+09:00
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批評とは單に、交渉や議論といつた雙方向のやり取りができない弱者に殘された、一方的な、惡足掻きともいへる自己主張の一つである。世の批評家逹は、他に對する自身の異見を明かにすることを目的とする人種であり、まちがつても批評の對象を自身の好みに變へやうとするものではない。異見を明かにした結果、運が好ければ何かが變はるかも知れない、あまりに受動的な、批評とはあまりにも所動的な手段でしかない。陰口と然程變はらない、公の場でいふ陰口を飾りたてて批評と呼んでゐるに過ぎないのだから。

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2008年12月8日

本日の名言――批評家

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2008-12-08T22:26:04+09:00
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大衆はモノを書かない批評家である。

現在は、大衆もモノをいふ時代なのだらう、世界は批評家であふれてゐる。當然の結果、現代は批評もあふれかえつてゐる時代なのだけれども、批評の良し惡しはその正當性や論理性に必ずしもあるわけではない。我々はその良し惡しを、批評の源となる動機から探求せねばならない。

2008年12月4日

本日の名言――獨り酒

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2008-12-04T20:49:17+09:00
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私が読書に大した価値をみとめない、といい切ってはもちろん言いすぎである。読書はたしかにいいことである。しかし、私の見るところでは、世間の読書礼賛家の中には、読書に対して、それが本来値いしないような価値をみとめたがる傾向があるようである。読書が一般に、ただなんとなく上等な、高級な、品のいいことのように考えられているのは、考えてみれば、ふしぎである。

讀書は、過去の偉人逹と會話する唯一の方法である、とはデカルトの言葉。ロスコモンが、友を選ぶがごとく著者を選ばなければならないと言ひ、ラスキンが、つまらない書物を讀むことに短い人生の中の時間を費やすべきではないと言ふ所以である。が、これは讀書に限つた話ではない。映畫やドラマ、演劇、漫畫、その並列に文章があるだけだ、文章のみが特別なわけではない。文章を讀むこと――讀書だけを奉り他に價値を認めぬのは、何か惡い病氣に侵されてゐるとしか思へない。戸坂潤は『読書法』の中で、読書家は決して信頼すべからざる文化人であると斷ずる。惡い病氣とは、讀書病にほかならない。

かくいふ私は、映畫やドラマや云々に費やす時間を、讀書に費やしてゐるだけ。といふのも、うちには、テレビも漫畫も劇場もないから。殘念なのは、過去の偉人と話をしたくとも書籍以外に方法がないこと。私はデカルトやロスコモン、ラスキン逹と酒を酌み交はしたいだけなんだよ。

本日の日本語

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2008-12-04T20:58:34+09:00
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本日の日本語(2)

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2008-12-04T21:06:33+09:00
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「本日の日本語」シリーズは、何故意味やら用法を紹介しないのか、との意見をちよこちよこ頂戴する。何を甘えてゐるのだ。識りたいのであれば、自ら辭書をひけ。それがその語を身に附ける一番の近道である。

しかし、そのやうなことを言つて仕舞ふと、雜學辭典といふ當サイトの存在價値が半減する。仕方がないので、萬歩ほどゆずつて、次囘から用例を紹介しよう、さうしよう。

次囘といふのは、今のストックがなくなつてから。

2008年12月2日

本日の名言――二日醉ひ

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2008-12-02T22:19:01+09:00
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なぜ本を読むか――酒を飲むのと同様、酔うためである。酔うほどに読むほどに、いままで見えなかったものが見えてくる。

何に醉ふのかといへば、本に對してであり自分に對してであり、讀書に對してである。酒はその味を分析するものではなく、量を競ふものではなく、ましてや講釋をたれるために消化するものではない。心地よく醉ふために、人生に華を添へるために呑むものである。私は讀書も同じだと極め附ける。

御冥福をお祈りいたします

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2008-12-02T23:38:06+09:00
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樋口宗孝氏が逝かれました。心より御冥福をお祈りするとともに、またお會ひできる日を樂しみにしてゐます。あの世でもお元氣で。

2008年12月1日

本日の名言――誇大妄想

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2008-12-01T21:23:36+09:00
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人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。

人を縛り、最後まで自由へと解き放たない鎖とは、自らの偏見なのかも知れない。安吾のいふやうに、それはあらゆる自由を許されて初めて氣附くことなのか。元々個人主義の發逹してゐない日本では、西洋から輸入した自由といふ概念が育つまでには至つてゐない。そればかりか、戰後の再輸入によつて誤つた方向へ、日本獨自の自由が伸び放題に伸び育つた感も否めない。安吾はその後續けていふ、人間は永遠に自由では有り得ないと。ちなみに。福澤諭吉は、他人の妨げになるものは我儘でそれ以外を自由と看做し、福田恆存は、全體の中で適切な位置を占める能力を自由と看做してゐる。我々は自由を過大評價し過ぎてゐはしないか。自由とはそもそも不便なものである。

Copyright (C) 2008 七鍵 key@do.ai 初版:2008年12月01日