2008年4月中旬

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2008年4月19日

更新履歴(兵法三十六計)

最終更新
2008-04-19T23:06:20+09:00
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兵法三十六計についてまとめたページを新規作成。三十六計逃げるに如かずといへばおそらく誰でも知つてゐる文句なのだらうけれども、かういつた日本で言ふ諺のやうなものを體系立てて語り繼がうとする彼の國の貪欲さは見習ひたい。日本には十訓のやうなものが數多くあるが、支那の三十六計とはそのやうな知る人ぞ知る知恵なのだらうか。それとも、支那人であれば誰でも知つてゐるやうな知恵なのだらうか。まあ、言葉すらまともに傳はらない未だに皇帝がゐらつしやるやうな國なのだから、どちらか想像はできるのだけれども。

スピリチュアリティ

最終更新
2008-04-20T01:01:16+09:00
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私がスピリチュアリティを否定する一番の理由は、スピリチュアリティが何らかの解決策とは決してなり得ないこと。二番目は、スピリチュアリティに登場する單語が非常に曖昧に使はれるものばかり――平和や民主主義、自由と同じ――で、何とでも受けとることができ過ぎて結局何を言ひたいのか理解できないこと。三番目は、スピリチュアリティを説明しようとする者逹は非常に無知であるにも關らず、アニメで得たやうな學問――例へば古典力學やら量子力學やら、相對性理論やら――を恥づかし氣もなく披露して、更に無知なる者を煙に卷いて何か利を貪らうとしてゐること。

しかし、スピリチュアリティとの單語が指すものも非常に定義が曖昧であり、私自身それに興味を持つてゐるのは間違ひやうのない事實なのだが、とつかゝりからして敷居が高すぎる。といふより、正直にスピリチュアリティに關する私の感想を言へば、そもそもスピリチュアリティが何であるか理解してゐる人は古今東西を含めてをられるのか。誰も理解をしてゐないから、曖昧な語で誤魔化してゐるのではないか。少し長いが、最近讀んだ本から引用をしよう。

引き寄せが法則ではないと主張する人びとは、こんな話を引き合いに出します。「重力が働くのはわかる。摩天楼から本を落とすと、地面にぶつかる。これが重力の法則の証明だ」

なるほど。

さらに、話はつづきます。「なにかを引き寄せようとするとき、引き寄せられることもあるが、できないこともある。だから、これは法則ではない」

これには同意できません。

理由を説明しましょう。

なにかを引き寄せようとして失敗したと語るのは、本を摩天楼から落としたときに「どこか特定の地点にぶつけようとして」外した、と語るようなものです。特定の地点を外したのだから、重力は存在していない、というようなもの。

この話は、落下傘兵が戦場の赤い点の上に着陸せず、木に降りてしまったので、重力は存在しないというのにも少し似ています。

どう考えても重力は存在します。特別な場合に、正しく使えないだけのことです。

引き寄せの法則についても同じです。

あなたが新車を「引き寄せ」ることに集中しても原付バイクを引き寄せてしまうのは、法則が効力を発揮していないからではありません。(中略)

手短に言うと、あなたが持っているものはすべて、あなた自身が引き寄せたものです。この法則に抜け道はありません。免責事項もありません。手にしたものは、引き寄せたもの。

それを無意識でやっただけのことです。

法則ではないと主張する人びとの心中をお察しします。先ず前提。法則とは、ある物事と他の物事との間に一定の関係があることを示す言葉である。一般的に、その法則に當てはまらない物事が發見されたならば、その法則は修正されるか破棄されるか、條件が附けられる。それをこの作者、摩天櫻から本を落としたらリンゴが落ちてくるのが私が主張してゐる法則だと言ふ。更に、うまく本が落ちてくるか、それともリンゴが落ちてくるか核兵器が落ちてくるか異星人が落ちてくるかは、無意識、誰にも知る由がない不確定な要素に頼らざるを得ないと主張する。あほか。落下傘兵が木の上に下るのは、萬有引力だけではなく、抵抗やら流體力學やらで充分説明ができる結果であり、不確定な要素が入り込む隙などどこにもない。不確定な要素が入り込むものを法則といふな。それは、引き寄せようとする意思とは無關係な別の要因からの結果であり、意思と結果の間には法則などなく、別の要因と結果に法則があるのだ。その別の要因を無意識と思考の外に追いやつて何を主張したいのだこの作者は。意識と無意識に法則を見つけ、無意識と結果に法則を見つけてこそ、やつと意識と結果に法則が生れるのである。私が興味をもちつゝ否定的なのは、かういつたスピリチュアリティを傳道しようとするものたちの怠慢に端を發する。單にこの人たちは、物質主義の反動でスピリチュアリティとの立ち位置にゐるだけで、主義・主張そのものは空虚なものではないか、そのやうにさへ感じるのである。

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2008年4月14日

告白

最終更新
2008-04-14T06:54:32+09:00
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昔、私は――だつたとか、若かりし頃――だつたとの告白は、居酒屋やらWWW上などで良く見聞きするのだけれども、これほど淺薄な表現もないのではないか。言つてゐる本人は何か優越感に近いものを感じてゐるやうにも見受けられるのだが、傍で見てゐると、自ら告白をすることによつて自身のイメージを作り上げようとしてゐるやうにしか感じない。當然、自ら告白しなければならないやうなイメージはとても空虚なもので、淺薄との表現しか私は思ひ附かない。

鹽サバ

最終更新
2008-04-14T21:36:00+09:00
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鹽サバ

本日は鹽サバとピーマンモヤシ炒め。サバが生燒けだつた所爲か、吐氣が酷い。睡眠時間が足らないからやら何やらかにやら思ひ當る節もあるため、斷定ができないのが難點。

Copyright (C) 2008 七鍵 key@do.ai 初版:2008年04月14日