2006年07月中旬

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2006年07月20日

雜感(音)

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2006-06-20T21:48:00+09:00
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近くでパトカーのサイレンの音がなつてゐた。聞いた瞬間に、「あれ、テレビ――そのときにゐた隣の部屋にあつた――をつけつぱなしてゐたのかな」と疑問に思つた。本當はどちらだつたのかなんて知らないしどちらでもよい。無意識にさう思つたことが問題だ。パトカーのサイレン程度であれば然程問題視すべきことでもないのかもしれないが、それでは消防車のサイレンの音であつたらどうだらう。何か爆發音のやうなものであつたらどうだらう。銃聲であつたらどうだらう。その他にも危險を事前に知らせる"音"といふものはいくらでもある。非現實的な音はすべてバーチャルな世界から發せられた音だと決めつける頭は早急にきりかへた方がよい。

雜感(聽衆)

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2006-06-20T22:28:00+09:00
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聽衆といふものはいつでも無責任なものである。いやいや黙つて聽いてゐるだけであればまだましなもの。ものを言ふ聽衆となると更に性質が惡い。無責任をとほりこして害をなすもの以外のなにものでもないことに、かれらは氣がつかない。皮肉なことに一番害を受けるのは講師だといふことにもかれらは氣がつかない。私は聽衆にもものを言ふ聽衆にもなりたくない。さう感じた。

(1)説法や講説を聞く人々。

2006年07月19日

雜感(更に横槍)

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2006-06-19T21:10:00+09:00
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如何表記しようが、完全に著者の自由。其れは然うなのだが、今迄今日と書いて居たものを、歴史的仮名遣いにした途端けふと書く理由が解せない。

私と真名垣氏の理由が同じであるか否かは別として。私が正假名遣ひを當日記にて始めた頃、讀みにくくない程度にひらがな表記とすることを心がけてゐた。正假名遣ひそのものが讀み難いではないかと言はれてしまへばそれまでなのだが、純粹に早く正假名遣ひレベルをアップさせたかつたとの思惑があつたやうに思ふ。他人の解せる解せぬの判斷を私がするといふのも可笑しな話であるが、突込むやうなところでもない、さう感じた。

雜感(撥)

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2006-06-19T23:18:00+09:00
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スティックを握ると落ち着くのは何の依存症なのでせうか。RLRLRLRLLRLLRLRLなんてパターンに足がついていつたりいかなかつたり。足で頑張りたいのはR--R-R-RR-RR----。はい、もちろんB'zの"明日また陽が昇るなら"のパターン(七鍵改)。強調表示はスネア。頑張れ。

    ^    ^  ^ ^^
RLRLRLRLLRLLRLRL
R--R-R-RR-RR----

雜感(ペダル)

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2006-06-19T23:39:00+09:00
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私は現役時代――もちろん氣分だけは今でも現役――にペダルを踏む際、スニーカーを履いて踏んでゐた。現在練習をおこなふ際は素足か靴下。何か足の感じがしつくりこないと感じてゐたのはこの所為だ、まちがひない。こんなにも足のダブルストロークが下手になつてゐたのかなんてショックをうけてゐたのだが、なにがなにが。スニーカーを履くとそれなりに聴こえるではないか。ちなみに私はドラムをしばくとき以外でスニーカーを履いたことがない。

2006年07月18日

雜感(私事)

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2006-06-18T20:18:00+09:00
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私事。ただぼんやりと生きてゐるつもりはないのだが、それでも生きてゐればダサい気持ちに見舞はれることがある。ダサい気持ちと曖昧な表現も如何かと思ふのだが、他に的を得た表現がないのでかう表現したまでだが、自身で不恰好だと自覺できる気持ちとでも讀み替へて戴ければ差し支へない。まあダサい気持ちの定義など本來どうでもよく、重要なのはなぜこのダサい気持ちに見舞はれるのかである。

そもそもこのダサい気持ちは何かに對して迷ひのある状況で陷ることがおほい。勿論迷ひとはジレンマのことであり、一方を自身の思ひ通りにしようとした際に自動的に他方が自身の思ひ通りにならなくなるやうな状況を指す。コインを宙に放り投げた際に裏と表を同時に出すことは無理である。しかしコインの裏と表を何とかして出す方法はないのだらうかと考へることがある。いやそんな都合のよい方法などあるはずがなく、ないからこそ人はどちらかを選擇することを求められ、どちらかを選擇しなければならないのである。

結論から言つてしまへば迷ひのある状況を作り上げてゐる状況こそがダサい状況であり、ダサい気持ちの元兇である。以前に私が宣言したやうに人の心が完全に天秤であるのであればこのダサい状況に陷ることすらない。コインの裏と表を同時に出さうとしない――裏が出るか表が出るかは判りやうがないが、自身の願望ははつきりとしてゐる――わけだから迷ひやうがないのだ。そもそも迷ひとは將來の状況に對して感じる氣持ちではなく、現在の自身の願望がどちらを向いてゐるのか判らないからこそ感じる氣持ちなのだ。といふことは、現在の自身の願望がどちらを向いてゐるのかが判ればダサい状況は打破されダサい気持ちも自然と解決されるのだらう。といふよりはそもそもその理想と現實――天秤であらうとする理想と天秤が傾かない現實――が違ふからこそダサい気持ちであると自覺するのだらうが。

ではなぜダサい状況に陷るのだらうか。これは既述。天秤が傾かないからである。天秤の精度の善し惡しは人によつて異なるだらうが理由は共通である。ではもう少し踏み込みなぜ天秤が傾かないのだらうかを考へると、往往にして條件といふ名の錘が不安定であることを理由に擧げられる。錘がはつきりとしてゐる場合、その錘の精度が必ず正確であるか否かは別として天秤はどちらかに傾くものであり、即ち迷ひなど生じない。その錘の中に重量が不確定な錘が混ざつてゐるからこそ、天秤が傾かない、又はその傾きを是とできないのであり、自信が迷つてゐると認識するのである。例へば未來の事象といふ錘がさうであらう。條件としていくら自身の未來予想圖を描いてみたところで、その未來自體が不確定なものである以上、そのやうなものが錘として機能するはずがない。また同樣に他人の気持ちといふものも錘としては不適格である。他人の気持ちを想像することは容易いが、その気持ちが自身の想像に合致してゐるかどうかなど誰にも判らない。もちろんこれらのことを想像するか否か、また信じるか否かは全く別のことである。天秤にかける錘としては不適格である、さう言つてゐるにすぎない。

實はダサい気持ちに陷る殆ど全ての場合が、判らぬ未來に對してあれこれと想像してゐたり、他人の気持ちに對してあれこれと埒の明かぬ想像をしてゐたり、そのやうな場合と合致する。もう一度言ふがこれらの條件を錘として使ふこと自體に無理がある。推し測るだけ無駄であり、推し測るだけ無駄なものに對していつまでも時間をかけて惱む行爲を無駄と言はずして何と言ふ。惱み頭を使ひ解決できることであれば存分に考へればよい。考へる行爲そのものがのちの糧となる場合もあらう。しかしどれだけ考へても堂堂廻りとなり、そもそも自己滿足な一時の結論を出すためだけに埒の明かぬ想像をすること自體がダサいのだ。

ダサい自身をよしとするのであればそれはそれでまた別の話であるが、私はそのやうな自身を好まない。好まないのであれば即刻ダサい錘を天秤から外すべき、つまり現在の状況と自身の現在の心情のみを天秤にかけるべきである。どちらに傾くのかとどちらが良かつたのかは別の話であり、どちらが良かつたのか――當然、未來の私にしか判らないが――は先の自身の裁量による処がおほきいこと、そもそも現在の私が心配するに及ばぬ事象なのだ。さう考へれば少しはダサい気持ちも晴れてこようといふものである。

更にもう少し踏み込んで考へてみよう。そもそもなぜダサい錘を天秤にのせてまで天秤を傾けさせようとするのか。答へは簡單であり、現在の私は何とかして天秤を傾けようと試みてゐる、即ち、未來や他人の気持ちなどといふ不確定なものまで持ち出してまで傾けたい天秤があるのだ。つまりコインのどちらの面を出したいのかは既に答へが出てをり、それでもまだ未練たらしく結果の出てゐる天秤を弄らうとしてゐる、だからダサいのだ。ここまで考へが及ぶとダサいを通り越して腹立たしい限りである。そしてその腹立たしい行爲の裏には不安といふ名の錘が作用してゐるのだらう。これもまた埒の明かぬ想像でしかないが、不確定なものまで持ち出してゐる現實を加味すればさう結論付けざるをえない。

つまり私は將來の不安を棚に上げ、いつまでも未練がましく結論について惱んでゐる振りをしてゐたからこそ、その気持ちを客觀的にみてダサいと感じたのである。不安とは將來の自身を信じることができない最低の感情であり、また未練とは現在及び過去の自身が出した結論を信じることができない最低の感情である。そんな最低の感情に振り囘されてゐるやうでは確かに先行き不安ではあるが、もう少し自身と自身の出した結論とを信じてみては如何だらうか。

更新履歴(當日記のProxy制限)

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2006-06-18T20:47:00+09:00
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某お方から當日記を讀まうとするとProxy制限に引かかるとの情報――といふより苦情と受け止めなければならないのだが――を戴いた。取り敢へずProxy制限を一時解除して樣子を見ることで妥協。どの環境變數で引かかつてゐるのかMac環境の用意をできない私では想像もつかない。まあいづれ餘裕があれば、Macからのアクセスの環境變數をすべてぶち抜き檢證するといふ暴擧に出るであらうと予想をしてみたりしてみなかつたり。

2006年07月17日

雜感(ホームページ作成)

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2006-06-17T20:18:00+09:00
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この週末に知人のWebサイト製作を手傳つてゐたのだが、結局Webサイトではなくホームページが完成してしまつた。それはともかく。パソコンを觸り始めて間もない方にサイトの作成方法と更新方法を教へることがこんなにも難しいことだとは思つてもみなかつた。ファイルってなに?コピーってなに?などと想像もしてゐなかつた質問をぶつけられたのだが、なるほどなるほど確かに私も"その頃"はそのやうなことを疑問に思つてゐたなと、ある意味とても新鮮な気持ちを味わつた。少しホームページ作成の第一歩に修正を加へようかな。私は前述のサイトで初學者に解り易い説明をしたつもりになつてゐたが、それはあくまで高みから見下ろした勘違ひであつたのだらう。何故つてそれを讀んだ――とても本氣で讀んでくれてゐた――初學者がホームページを作ることができなかつたのだから。それでは前述サイトの存在價値は微塵もない。

2006年07月14日

雜感(日本海)

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2006-06-14T19:47:00+09:00
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こういつた形――動畫を外務省が用意したといふことに驚いてゐるのは私だけでないはず――でもどういつた形でも良いから、根據のない言ひがかりにはきつちりと證據を示し反論をすべきであらう。遅きに失する感もやや否めないががんばれ外務省。シリーズ化を期待する。ああ後次からはOperaでも閲覽できるやうにしてね。

雜感(ウリナラ起源)

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2006-06-14T21:18:00+09:00
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ほら、劍道や柔道、染井吉野やお菓子、アニメだけでは飽き足らず、しやぶしやぶまで我が國が起源とか言ひだした。もちろん、主張だけで證據も何も出さないのがコリアニズム。しかも記事を讀んでゐると微妙にジンギスカンと混亂してゐるやうな氣がするし。いやそれよりもソースが金次長。意味が解らない。大きな心を持つて笑ひとばすのが大人の對應といふものかもしれないが、それで大事になりかけてゐるのが劍道。日本文化の全てが韓國起源などと戲言を言ひ始める前に外務省さん、宜しく對應お願ひします。まあでも全ての日本の文化が韓國起源だと假定したとして、その全ての文化が跡形もなく消滅してゐるお國柄は如何かと思ふよ。

2006年07月11日

雜感(正字正かな)

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2006-06-11T22:43:00+09:00
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氣がつけば山岸氏の日記の正字正かなが復活してゐた。いつの間にと不思議に思ひ過去の日記を拝見しようとしたのだが、過去の日記一覽にリンクが設定されてをらず經緯が不明。まあどちらにせよ普段讀ませていただいてゐる文書が正字正かなとなつてゐることは、私の正字正かなレベル向上の點で非常にありがたい。

私が正字正かなを使ひ始めたのは正字正かなが本當に理に適つた表現方法なのかを我が身を持つて體驗するためであつたやうな氣がするが、そんなことは別として、何か新しい知識を習得することは純粹に樂しい。本當に理に適つた表現かどうかなど既にどうでも良いこととなつてゐる現状。私は正直當日記以外で正字正かなを使ふ機會もない、本當の意味での正字正かな使ひではないが、純粹に正字正かなを樂しんでゐるといふ點だけみれば理想的な正字正かな使ひなのかもしれない。

よくよくみれば山岸氏の日記は正字のみ復活なされてゐる模様。

Copyright (C) 2006 七鍵 key@do.ai 初版:2006年07月11日